ボクらの時代 姜尚中×安藤優子×岸恵子

一人の男性政治学者と、一人の大女優、そして一人の女性・ジャーナリストという3人。まさしく大人の鼎談が繰り広げられた貴重な時間が流れた。

ボクらの時代に3人の魅力的な大人たちが集まった。
姜尚中(カン サンジュン)・・東大教授で政治学者、
岸恵子・・1953年「君の名は」で一世を風靡し、一躍スターに、しかし3年後フランス人監督イブ・シャンピと結婚、フランスに渡る。その後、国連親善大使や世界情勢のエッセイを出版している。
安藤優子・・ジャーナリストとして世界中を取材している

姜 と安藤は、以前インタビューを通じ面識がある。
安藤は初対面であり、憧れの存在である岸を前に緊張気味である。

安藤は、岸が女優として人気絶頂期にその立場をすてフランスに渡り結婚した、その決断力について聞く。

岸は、自分は熟慮できない人間なんだという。そしてこう例えた。
じっくり考えて歩きだすのがイギリス人、駆け出してから考えるのがイタリア人、よく考えて歩きださないのがフランス人といわれる。自分は、イタリア人的と分析する。

女性の地位について姜 は、女性法律家協会で講演した時、戦前は女性の法律家が3人しかいなかったのを知り愕然としたという。まだ、まだ女性の社会進出が少ないと考えている。

ジャーナリズムの世界での女性という立場はどうなのか?

安藤がクリントン大統領にインタビューした時、パンツスーツを着ていた。
自分のつたない英語が通じるかと不安で勢いクリントンの椅子との距離が近づき、クリントンはクリントンで何とか安藤の英語を聞きとろうと近づいてきて、決められたいたクリントンとの距離60センチを超えてしまったと話す。

後日談として木村太郎から、冗談で安藤がスカートを掃いていたらもっと二人の距離はちかくなっていただろうと、わらった。

湾岸戦争の取材に日本人女性として初めて行って帰ってきた時、記者会見を求められた。安藤は、何故記者会見なんだと疑問に感じた。女性としてとはじめてという、ところに力点が置かれていたという。その点に、安藤は、女性ということで逆差別をうけ、下駄をはかされたと感じた。

男女間の関係をアメリカとフランスでは違うのかと姜が岸に質問する。
モニカ・ルインスキーとクリントンとのスキャンダルは、アメリカで大問題になったが、フランスのミッテラン大統領に隠し子が見つかった時、たいして騒ぎにならなかったことを例にだした。

岸は、ミッテランの場合、あのおじいちゃんに娘が出来て良かったねと、フランス人は軽くうけながしていたという。政治家が、本来の仕事をしていればプライベートはどうでもいいといのが、フランス人気質のようだ。

日本の首相に魅力はあるのか?
姜は、日本の場合、首相になると男としての色気がなくなるという。
安藤は、首相と恋愛をしたいとは思わない。岸は、日本ならずとも首相とはちょっとねという感じ。
今は、若い人にとって日本に憧れるものがなさすぎると、岸は危惧する。

平成にはいって日本の首相は、14人変わり管首相で15人目、これをどう思う?
姜によれば、戦時のとき14人首相が変わっていて、平時の今と同じなのが不思議だという。運命が決まっていた戦時と。政治が今やれているのかと疑問をもつ。

安藤は、いたたまれない気持ちが足りないのではという。前言を翻しても平気でいられるから。
世界的には、女性の首相が増えてきている。もうそろそろ日本も、と姜 は待望する。

今、若い女性たちは専業主婦願望が強いという。経済力のある男性と結婚し安定した生活を望む。あえて、仕事、子育て、妻、女としんどいことは、ごめんだという。姜は、こう分析する。「あれもこれも」から「あれかこれか」の時代になったのではと考える。

岸が面白い例えを言った。
卵をわらずにオムレツを作りたいと今の若い人は考えているのではないかと。新しいものを作るのに、何かをこわすということをよしとしない。時とともに人間は、どんどん変わっていくものだと。

一人の母としての岸恵子は?
娘が孫を連れて帰ってきても、自分を素通りして会話をしている。それは、しかたがないことだという。自分が娘にとっていい母親でなかったから、いい母親である娘に孫たちが集中するのは当たり前とおもっている。

姜 にとって母(オモニ)は特別な人。大きな存在である。母が男と女の差がない時代が来てほしいとよく言っていたという。母は、がむしゃら、強い存在だと安藤が話す。

女は強い、母親になれば特にそうだと岸が話す。母親は女であってはいけない、あくまでも母親なんだと。男はそう考えがち。姜は、男はマザコンだと、自分を評する。男の人は、母の恋愛は受け止められないのだろうと、安藤はいう。

娘と母との関係と息子と母の関係は違う、姜 の思いはそこにある。
安藤にとって母親は、大好きだけれど似てほしくない存在。一番兄弟の中で母の遺伝子を継いでいるといわれる安藤。母が、何かの動作の時に「よっこらしょ」といっていたのが、今自分がふと気がつくと同じことをいっているのに、嫌悪感を感じると笑いながら話す。少し母と距離感をおいている。

母一人娘一人の岸にとって、娘はクールに自分のことをみており、客観的な関係だという。
岸が母について、今書くとしたら愛情たっぷりに描くだろうと苦笑い。世代は無情、姜はいう。目上の人を批判して成長してきた若い頃の自分。母は、異性ではないと感じる。

母は、生々しすぎると表現する安藤。自分はファザコンかも。亡くなった父を書いたら、今ならグッドダィに書くだろうと笑う。小説は、みなそう。

真実も現実も主観によって変わる。だからノンフィクションというよりフィクションの影響を受けやすいと姜がいうと、岸も安藤もその意見に同意する。

記憶もそう、印象が染み付いてしまう。だからフィクション化すると岸。ジャーナリズムの世界でも、取材からかえってくると印象がかわる。主観がはいり、ノンフィクションでなくなると安藤は経験論からいう。

岸恵子を論じる場合、そのスタイルと語る安藤である。何をしても何を食べても岸スタイルがある。姜は、岸には女性であってほしいと願い、母親役は見たくないという。

岸も日本ではどうしても、母親役、おばあさんと年を感じさせる役しかこない。一人の女性として、年令を重ねた人生を語る企画がない。だから、もう自分は、出ないのだと。年をとってもいい、若ぶるつもりなんか少しもない。等身大のその年齢なりの女性でいたいと思う。

キャリアのあるキャスターたちが活躍するABC,BBCなど海外。日本では、そうではないのは可笑しいと姜がいう。安藤は、分かりやすくという風潮があり、視聴者にすり寄り過ぎるのかもしれないと考える。若いキャスターたちに、注目があつまるのもそうだろう。

日本では、選挙報道にタレントが出てくるが、信じられない。海外ではないことだと、姜はいう。本当にそうだと私もおもう。専門家がいるではないかと。

年をとったらテレビに出られない、そんな風潮が日本にはあると安藤がいう。あえて何でまだでているのと、いわれるぐらい出ていたいと本音をもらす。

厳しい時代を生きてきた3人の論客、
今の時代に厳しい提言をするが、そこにはそれぞれの愛がある。
まだ、まだ日本に、日本の若者に期待すればこそである。

自分を主張できるのは、それなりの人生のバックグラウンドが必要。
人生のキャリアは、無駄ではない、そう感じる今日の3人の話でした。

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