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虫を見る目は、優しく愛情に満ちている。常に虫の新種を求め、生命の神秘に挑む一人の日本人探検昆虫学者が今、コスタリカを拠点に日々活動し、生物の研究に精をだす。「情熱大陸」に、その姿を見せた。 虫人生を歩む男の名は、西田賢司。人は、彼を探検昆虫学者と呼ぶ。 西田の活動する中央アメリカのコスタリカには、地球上の生物の5%ぐらいの生物が存在する宝庫である。暗闇をとんでいく透明の「スカシマダラチョウ」「ヒメゾウムシ」「ハキリアリ」など、35万種をこえる昆虫が生息する。西田は本領を発揮し、これまで500種類ほどの新種をみつけ、学名に西田の名前がついている。ハワイの学会でも、3種類の新種を発表した。 西田は、スペイン語・英語・日本語を操る。西田にとって虫なしの人生なんて考えられない。 虫がいなくても人間はいきていけるのか?との問いに、西田は「いかれへん」と答える。果実や野菜の受粉に虫の存在はかかせないし、虫なしでは生きていけない存在がある。人間もそうだ。 変わり者といわれませんか?これに対して、こんな人間もいていい、理解されにくかもしれないが、一応役割は果たしており大切な存在だと考える。 西田は、コスタリカの首都サンホセに住んで12年になる。日本人などめったに見ない。3年前にコスタリカ大学・大学院を卒業している。大学のキャンパスはワイルド。「ナマケモノ」が木にぶらさがっている。西田の専門は、「ガと蝶」である。多くの論文を発表している。 コスタリカにも自然破壊がおこっており、車の数が増え、もともと熱帯雨林だったところが「バナナ園」となり、道端に残った3本の木に世界でもっとも重いといわれる「ゾウカブトムシ」をいる。自然破壊がおこっているのを、虫が教えてくれると、西田は語る。 サンホセガネットというところに西田の自宅はある。そこは、まさしく虫の研究室。採取した昆虫の標本が沢山、大事に保管されている。自分が知らないものを、どんどん解き明かしていく。ミステリーを解き明かす探偵みたいなものと、自分を表現する。 探検昆虫学者・西田賢は、38才独身である。1972年大阪・松原市に生まれ、2才のころから虫が大好きだった。日本の学校になじめなかった西田は、中学を卒業すると、単身アメリカに渡った。そこで昆虫生物学を学んだ。その後、昆虫の楽園、コスタリカに渡る。 時には、3820メートルのチリボリ山にのぼり、新種の発見に挑む。西田は、小さな虫によりひかれる。新種の可能性が高く、はでな虫より地味な虫の方が好きだ。西田は、違うものをやる人がいることが、多様性をみちびき広がりができていいと考える。自然破壊が進むと生物の多様性がおかされ、あとでこまるときがくる。 山に入った西田の新種発見意外のもう一つの目的がある。「虫こぶ」をみつけること。虫こぶとは、虫の卵が植物の中で成長したもの。3820mの山頂で虫こぶを発見した。その中味は、「寄生ばち」の幼虫だった。そんな高地にも生物は息ずいている。 今年8月に西田は、東京に帰ってきた。都会のこどもたちを対象にした昆虫の講演のためである。西田の出すクイズに必死にこたえることもたちの目は輝き、生き生きとしてしる。講義が終わり、屋外で虫とりの技を伝授する。 海抜0mの熱帯雨林。コルコバート国立公園。西田曰く、野生動物より人間のほうがこわいと。「トゲハムシ」の葉っぱの裏側に「キタコアリクイ」がいる。シロアリを食べて生きているのだが、虫を食いつくすことはしないのだそうだ。小さな生物と大きな命の絶妙のバランスが保たれている。 西田は、自分は生かされており、生かされている限り出来ることをやっていく、そう語るのだった。 西田をみていると、受験に明け暮れ、やれ就活だとかけまわっている今の画一的な生き方を選択していることに若者たちは、疑問を持ち、いろんな生き方があるのだから、少々寄り道をしてもいいんじゃないかと考えれば、一斉に同じ行動をとることも少なくなり、もっとダイナミックな若者が育つようになると思う。 私のいる商店街にも「虫博士」と呼ばれるYさんがいる。40代の後半になった彼は、虫の話しをしだすと少年のころにたちかえったように、目の輝きを増す。地域の小学校にボランティアで虫について子供たちに教えている。生涯、虫とともにいきている。そんな人が、身近にいるとほっとする。 大事なものが何なのかを、西田の生き方に示されていたように思う。 |
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