列車は、走るビックリ箱 デザイナー・水戸岡鋭治

「あれ、あったらいいな」「これがあったらどんなに楽しいだろうか?」と、鉄道デザインに革命をおこし、列車のデザイナーのカリスマとよばれる水戸岡鋭治が、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、列車にかける思い、デザインとはなにか、自らの人生を交えながら語った。

デザイナー・水戸岡鋭治は、これまで鉄道列車のデザインを30以上手がげ、海外でもその作品が認められ鉄道関連では唯一となる国際デザインコンペティション「ブルネル賞」を4度受賞している。

水戸岡のデザインする列車は、「乗る人に笑顔を与える」ことをモットーとして、デザインはあくまで利用者のため、公共性を大切に考えられたものでないといけないと、こだわりをみせる。

水戸岡の事務所は、東京・板橋にある住いをかねたビルだ。水戸岡の事務所の人間は皆まじめだ。AM8:30まず事務所の前の掃除からはじまる。そして一番まじまなのが水戸岡自身だ。

水戸岡が手掛けた列車は、常識破り、その発想の原点は、「あったらいいな」である。全面カラス張りの寝台車など、クルージングを楽しむ感覚と楽しさが増幅するデザインである。

和歌山・貴志線の「おもちゃ電車」、熊本~人吉間を走るSLには、SL文庫が設えられ、人を笑顔にする仕掛けが満載の列車を世に送り出している。

冬に水戸岡の元に難しい仕事の依頼があった。鹿児島~指宿をむすぶ特急列車。「指宿の玉手箱」と呼べるような列車を目指す。課題となったのは、列車をかざる「ステンドグラス」。列車を作るには、いろんな制約がありそれをのりこえないといけない。

「ステンドグラス」には強度の問題があり、その解決のために静岡のメーカーにゆき、その工程をつぶさに観察し、こうすれば解決できそうだというアイディアを現場で感じながら提案する。丁々発止を繰り返し、なんとか問題をクリヤーし、「指宿の玉手箱」を列車に表現することができた。

列車を作る上での制約とのたたかいは、「センスとは才能」ではない、試作、修正を繰り返すことだという。“手間をおしまない、愚直な心”と水戸岡は表現する。

手がかかっていると見る人がそれに気付き、喜びを感じてもらうことが大切。九州新幹線にもその思いがこれられている。「沿線の風土を乗せて走る」、その土地の伝統文化を感じてもらおうという仕掛けを考える。6両編成の椅子は、すべて違う色、素材を使っている。「懐かしくて、新しい」そんな発見を求めている。

随所にみられる水戸岡のきめ細かなデザインは、利用者のハートをわしずかみにする。「あったらいいな」を実現することに精力をかたむけている。自分好み、いやそうじゃない、“デザインは公僕”だといいきる。

列車デザインのカリスマと呼ばれる水戸岡は、子供のころから存在感が薄いこどもで「いてもいなくていい」なんておもっていて、名前の鋭治をもじって「鈍治」といわれていた。絵が得意だった水岡は、工業高校でデザインの勉強をし、25才で独立し、公共空間のデザインを目指した。

が、現実はそんな甘くなかった。思うような仕事は一切なかったが、来る仕事を拒まず真面目に取り組んだ。そんな生活が14年続いた。それから39才の時、福岡の列車のリニューアルの仕事の依頼をうけ、「真っ白な列車」という斬新な列車を提案し、それが評価され徐々に列車の仕事がくるようになった。

そして、2年後九州を縦断する特急列車のデザインの依頼をうけた。水戸岡は、ヨーロッパ風の格調の高いデザインを目指し、ゆったり、豪華な列車をプレゼンしたが、異論が続出した。

それは、水戸岡が使うガラスや木材という素材のもつ危険性。その制約と闘い平成7年087系特急つばめを世に送り出した。“美しいね、豪華だね”と高評価をえた。その時、水戸岡45才。やっと自分の生きる道をみつけた。

水戸岡のデザインにかけるおもいは、「列車は知らない人との空間をどう共有するか?そこにコミュニケーションはうまれるのか?そう、公共性が大切だと願う。

夢のこども特急「ASO BOY」。車窓から阿蘇国立公園を皆が走る列車も老朽化にともない客足が遠のいていた。リニューアルをたくされた水戸岡には、一つのアィディアがあった。

「子供専用の列車」「遊び道具のような列車」。水戸岡への仕事の納期はわずか三カ月。目玉となる“親子シート”の製作にイスメーカーと打ち合わせをする。「旅を楽しむ、床を高くして親子で車窓を楽しむ」という子供のころからいい意味の贅沢な感覚を知ってもらいたいと考えた。

親子シートにもいくつかの制約があり問題をクリアーしなければならなくなった。回転式シートに工夫が迫られた。水戸岡のこだわりは、こどもを窓側におきたい。それを実現するのに困難をきわめた。回転式ではなく、転換式シートなら可能性がある。

しかし、転換式には安っぽいというイメージがあり、採用を見送られていた。しかし、時間のないなか水戸岡は、こどもたちが本当に喜んでくれるかにこだわり、これまでのデザインを捨て転換シートをつかうという重い決断した。

時間のない中での方針転換は、異例中の異例だ。しかし、水戸岡はこう考えた。「進んでいるものを止められるのは自分だけ」と、自分の信念にしたがい全てを受け止める覚悟をした。

安っぽいイメージを払しょくするのは、並大抵ではなかった。何度も、何度もやりなおしたが、いっこうに新しくならない。その壁をのりこえられないでいた。ここで諦めるわけにはいかない。デザイナーとして難しい仕事と向き合ってきた。

“いつかはきっと いいものを”と、自らの人生をかぶらせ取り組んだ。

12月24鉄道会社の社長との一対一のプレゼンが始まった。水戸岡の提案した革の椅子について、社長が素材として皮を使うことに難色をしめした。しかし、水戸岡は自分の思い、コンセプトをぶっつけた。こだわった子供の楽しさ、実現すれば世界初となるオリジナル「親子シート」を切々と訴えた。

水戸岡渾身のデザイインに社長は、決断した。「大満足」と「親子シート」の採用が決まった。「こういうものがあると楽しいと、利用者に伝わると信じる。

水戸岡の謙虚さと人間としての真面目さ。利己ではなく利他の精神を大切にデザインは公共性が大切と常にその軸をぶらすことはない。「あったらいいな」をいかに実現するか、そのハードルが高いほど水戸岡は燃える。

丁度私たちの商店街のアーチの色をどうするかの勉強会を今日する。「あったらいいなあ」とは、どんなものかを考えて見たい。



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