ボクらの時代 宇津井健×小堺 一機×関根勤

今日のフジTV「ボクらの時代」、大ベテラン俳優と二人のコメディアンが大変気のあったトークを爆裂させ、お笑いをさせてもらった。

宇津井健、79歳。それにしても若々しい。早稲田大学在学中に映画デビュー。60年代にTV「ザ・ガードマン」でブレイクしましたね。よく見てました。その後も、映画、TVで活躍している。

関根勤は、最初ラビット関根という名前でデビュー後に関根勤に改名した。本当に楽しいことが好きな人だ。今は、なくてはならない存在で、誰にでも同じ接し方の出来るひとだ。

小堺一機は、関根とは30年以上の付き合い。関根は、小堺にとって何でも話せる先輩であり、友人でもある。現在長寿番組「ごきげんよう」等で活躍を続けている。

3人が会うのは久しぶりである。宇津井の冒頭の話がいい。二人に会うと清々しくなるし、まるで墓参りした後のようだと。いつも穏やかな宇津井に、小堺が「叫びたくなるようなときないですか?」と問うた。「ストレスたまらないですよ」と言った。羨ましい限りですね。

その後がふるっていた。宇津井発言・・仕事場に嫌なやつが二人いたが、二人とも死んでしまった。(笑)

関根が宇津井に最初に「赤い激突」という仕事の現場出合った時、遅れてはいけないとスタートの1時間半に現場に行ったら、既に宇津井はそこ坐っていた。それには、脱帽したと語った。

お笑い芸人にとって常にリアクションを求められるが、それに反応しなければと思うが、朝の早い時は眠くて「馬場」と声をかけられても反応出来なかったと関根。仕事場だといつでも大丈夫だと付け加えた。

同じようなことで、小堺は自分の妻の出産の時、「何かいってやってください」ととっさにいわれたが、言葉が出てこなかったとリアクション出来ない自分を経験した。

映画の世界で生きて来た宇津井だが、TV「ザ・ガードマン」に出てた頃、銀座でスポンサー関係の人と飲んでいて女と歩いてると揶揄された経験をしたが、いつでも見られていることを意識しなければと思うようになった。

関根が欽ちゃんにこう言われた。「わかりません」「出来ません」は、言うなと。コメディアンは、常に反しができるようにしないといけないようだ。

モノまねの得意な関根の前で宇津井がモノまねを披露した。「リーブ21」のCMをまねてみせて、コサキンの爆笑をさそった。うまいものでしたよ。以外とひょうきんな一面をもっている宇津井だ。

06年に妻を亡くした宇津井。一番厳しいが、一番の宇津井ファンだった。関根はそれを聞いて大変羨ましがった。一度も家内に褒めてもらったことがないと。

小堺も妻には褒めてもらえないが「ビシット」したことを言ってもらうと喜んでいた。小堺が父に言われた一言で救われた。色弱で都立を諦めた。その時、「色弱でよかったじゃないか違う色が見れて」と父親にいわれ自分なりに納得した。後日談で、小堺のお父さんがもしあの時に言ったことでぐれたりしたらどうしようかと、不安を抱きながら言い放つ以外になかった。

「賭けだった」と告白された。

最近の若い俳優は?
宇津井によると短距離選手のように思える。先をみていない。自分たちはマラソン選手だった。後輩芸人は、完璧の状態に慣れている。だから状況の変化に弱いと感じている。

プロダクションの存在が影響していると宇津井がコメントした。昔は、映画会社がスターに育てた。今は、プロダクションが売れだしたら売りまくって、使い捨て状態だと苦言をていした。時間の流れの速さにより、才能が枯渇していると宇津井も小堺も憂いをもった。

今は、お笑いを目指す若者が多いい、関根のころは、お笑いの同期がいなかった。宇津井は、歌手がいいなぁと思った。俳優は、毎回違う台詞を覚えなければならないから。

定年のない仕事の彼ら。舞台で死ねたら本望というが、それは迷惑な話だと宇津井は笑った。宇津井の息子は、現在50才。「もうだけと思ったら辞めろと言え」と話してあると明かした。

小堺も大病して、健康ならねんでも出来ると言った。若い頃は、いろんなことに気がつかないものだと自分を振り返った。

小堺が関根評を披露した。関根は、人を変えることの前に自分を変える人だと。それは、自分を変えるほうが楽だからと関根は考えた。足元をみ頂上を目指す、そう話した小堺であった。

楽しい話が聞けた時に共通するのは、互いに対する思いやり。決して上から目線でものをいわない。相手をリスペクトする気持ちが大事ですね。笑顔になれることは、楽しいし、幸せである。今日も、楽しかった!

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