ボクらの時代 マイク真木×真木蔵人×真木勇人

父親と息子2人の、
男どおしの楽しい、
屈託のない鼎談が繰り広げられる。

フジTV「ボクらの時代」に、
父親マイク真木、66年に「パラが咲いた」がヒット、
最近では、ドラマ「ビーチボーイズ」でも活躍、
4人の息子と一人の娘、孫4人の14人の長である。

長男・真木蔵人は、15才でデビュー、映画を中心に活躍、プロサーファーでヒップホップアーティスト
二男・真木勇人は、プロサーファーでモデルもやる

全員、緊張と照れの中の会話からスタート。

父マイクは、余りしゃべる方じゃなく、体で教える方。
何でも体験させていくほうだ。

蔵人は、何も解らず、とにかくやることで、
失敗し、いろんな事を学んだという。
怪我もよくしている。それでも父は平気な顔をしていた。

マイクは、救急車に何回乗ったかを競争したと、笑う。
それぐらい、ハードにいろいろ体験している。

父、マイクから息子たちに最初に渡したものは、
なんと手製の「ナイフ」だ。
使い方を間違うと、危ないことを教えるために。

武士の時代は、15才で元服、大人である。
そういう意識で、子供に接した。

ナイフ、ギター、バイクとやらせた。
父としては、危ない父と評判はよくなかったと、
父マイクは述懐する。

蔵人は、ひたすら外の生活が多かった記憶があり、
それが、現在にも引き継がれているという。

3才で息子にバイクを教えた真木、
いずれ乗るなら正しい乗り方を早く教えようと思った。
英才教育なのだろうか。

マイクは自分でアメリカかぶれの親父と称する。
だから、名前もマイク真木。
カッコからアメリカナイズされていた。

マイクの父の影響で敗戦国になり、
とにかくアメリカに負けたくない、
戦後は終わらないと意識づけられた。

アメリカ人以上の生活をすることが、
アメリカに勝つことと信じていた。

アメリカでの生活で、平均的アメリカ人を越したと感じ、
マイクの終戦を迎えたのだそうだ。

マイクは父として子供に人生のレールを弾くのが嫌だった。
自分で何かをみつけてくるようにと願う。

そんな父の教育方針は、息子にも伝わり、
役にたっていると、2人はいう。

まともなことを教えてもらってないと、
蔵人、サラリーマンになる方法とか。

勇人は、お金の稼ぎ方を教わらなかったが、
金がなくてもやっていけると、自信を持つ。

マイクは、自分たちの仕事は保証がないもの、
蔵人も、リスキーライフだと同調する。

父マイクは、お父さんは素敵と言われたいという。
息子二人は、素敵だといっていると、
マイクは、一安心する。

サーフィンについては、蔵人に教えたことはなかった。
ボードを置いていただけだった。

蔵人は、多分親父もきらいじゃないだろうから、
何とか自分でやろうと、手さぐりで一生懸命にがんばった。

サーフィンは、日本では最初のころに始めたマイク。
サーフィンをやると、持てると思った蔵人は、。

持てるために、父マイクは、
ギターと歌をやったが、もてたという記憶がないという。

父がつっぱしるから、あとをついていっただけ、
父との関係は、ごくナチュラルだと蔵人。

マイクは父として怒ったことがない。
一つの例外を除いて、蔵人が小学一年で盗みをした時。
徹底的に怒った父マイク。

蔵人は、父からうけついだ精神を、
自分の息子にも引き継いでいる。

息子の姿を見てきた父マイクは、
ここまで自分たちの生活をやるとは、思っていなかった。

息子としては、金儲けを教えてもらわず、
サラリーマンの道も知らず、
これしかなかったからやってきた。

3人は現在千葉に住んでいる・
スローライフのようだが、
決してそうではなく、東京より忙しいようです。

千葉に住み、視野が広がり、
人生観も変わったと蔵人。

ハワイに6年住んだが、
こんいいところを知らなかったと、
父マイクは、千葉を語る。

パリ、ロンドン、ニューヨオークより千葉とは、勇人の感想。

めったにこんなにしゃべることのない3人、
3年分ぐらいしゃべったと満足げ。

型にはまらない人生を歩んできた父、
その後を追う息子たち、
照れながらの会話がなかなかいい雰囲気だった。

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