生きて死ぬ私 茂木健一郎

茂木さんの「生きて死ぬ私」を、
久し振りに手にし、
再読してみることにした。

茂木さん、30歳の時、
研究所から自宅への帰路、
電車に乗り、その時の「ガタン、ゴトン」が、
「クオリア」という概念を生むきっかけとなっている。

その電車の音が、抽象的な記号と感じていたのが、
生々しい「質感」を伴って、茂木さんの心に迫ってきたとある。

私は、しばらく前から「知ること」より、
「感じること」のほうが大切ではないか、
「感じること」のほうが裏切らないのではないかという、
思いを抱いている。・・本文より

私はこの「感じること」のほうが大切ではないか、
そこに、私自身も大いに共感を覚えるようになってきた。

「生きて死ぬ私」、第2章「存在と時間」、
「生きて死ぬ私」で最後にこう書かれている。

私が死んで何十億年と経てば、
私の体をつくっていた分子は、
新しい星の材料になるだろう。

だが、そのことは、その超新星の中に私が生きていること、
あるいは私の名残が生きていることを意味するものではない。

私という関係性は、あくまでも私が死んだ時に消えている。
私の体をつくっていた分子は、私とは関係ないのだ。

生きて死ぬ私。
それは私という関係性の歴史である。・・本文より

「耳順」の年齢に達し、
ようやく「それは私という関係性の歴史である」
という、ニュアンスが、
近くに感じられるようになってきた。

初めて、本書を読んだのは、
2006年の後半だったと思う。

文庫本を買った。

その時には、理解しずらいことも、
少しずつわかるようになってきた。

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