思考の補助線 茂木健一郎

「思考の補助線」 茂木健一郎、
を読んで少々いい興奮を味わっている。
久しぶりに茂木さんの真骨頂に触れた。

最近何冊かの茂木さんの本は、
楽しく読ませてもらったけれども、
そろそろ本来の茂木さんらしい、
タフな本を読みたいと思っていたので、
まさしくグッドタイミング。

補助線と書いてあるのを見て、
真っ先にブルータスの「モギタス知恵イチロー」に、
小さく載っていたのを思い出した。
(2005/01/25と記されていた)

補助線の引き方が勝負だと思っている。
幾何学の問題で、一本線を引くと一気に問題が明快になる。

蛸壺化を超えるのには、うまい補助線を
引くしかないのではないか。・・ブルータスより

これは、2007年の2月号でした。
読んだ時は、おぼろげながら、
ニュアンスとしての理解であった。

今回、本書を読んで理解の段階が、
以前より上がったように思う。

生きていくうえで、遭遇する諸問題も、
補助線を一本ひいてやり、
足元を見つめ直し、
シンプルに考えてみる、
展開が変わってくる可能性が生まれる。

そんなことも、必要だと思うようになってきた。

茂木さんは、最近怒っていないのかと、
心配していたが、怒りが何倍にも凝縮して、
「思考の補助線」で、思いっきり出している。

知的探求も同じだ。
そう簡単にわかってしまったり、
知り尽くしてしまえるのであれば、
そもそも情熱は生まれない。

知るということが実にやっかいだからこそ、
真理を熱心に探求する気持ちも強くなる。・・本文より

一文引用します。
本居宣長の下に集まった商人たちは、「自分たちは散々遊びをしつくしたが、
学問の快楽に勝るものはない」と目を輝かせたという。・・本文より

知の持つ普遍さを、
力強く訴える茂木さん、
だから中途半端はだめと怒る。

茂木さんの怒りには、「愛」がある。
啓蒙とはつまりは他人に対する愛である。
と、茂木さんは考えている。

どうでもよければ、人間怒ったりしない、
そう私は、感じています。

人間の怒りの中に、真理が隠れている。
そう簡単には、わからないでしょうが。

難しければ時間をかけて考える、わかるまで。
ずっと考え続けていても、
わからないかもしれないが、
考えることをやめてしまったら、
永遠に「わかり」には到達しない。

さらに繰り返し読み込む必要がありそうだ。
茂木さんの著書のダイナミックレンジを、
体感できた一冊だった。

考えるということが、人間のメルクマールであるならば、
私たちはみな、考えることともっと仲良くならなければいけない。

二年間、「ちくま」に連載したときのリズムは私の中にはっきりと残っている。
がったんごっとん、がったんごっとん。

できれば、このままずっと思考の列車を走らせていきたいと思う。・・本文あとがきより
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