私の失敗 千玄室 パートⅠ

茶道裏千家前家元 千玄室さんが、
産経新聞の「私の失敗」の欄に、
これは、茶を取り扱う私としては、
外せない話であると興味深く読んだ。

千玄室さん、
冒頭から失敗の連続であると激白、
幾つになっても失敗は成功のもと、
そうポジティブに捉えていた。

本年とって84歳、亥年、年男、
時々TVで拝見するがお元気である。

相変わらず、茶の世界を紹介に、
世界中を駆け巡っておられる。

千玄室さんは、
昭和39年に15代家元を襲名、
平成9年に文化勲章を受章、
平成5年に現家元・千宗室(玄室さんの長男)にあとを譲った。

千玄室さん、ある失敗で大事な気づきをえた。

6歳の頃、京都・北野天満宮のお献茶で、
手伝いをし、ほめられたのだそうだ。

ちょっぴり天狗の玄室さん、
父である家元に、
「どうしてボクに、お茶を教えてくれないの?」
そう、尋ねても父上は答えてくれなかったようで、
母に相談し、再度父に尋ねた。

このときの父上の答えが、
短い言葉に本意が凝縮されていた。

目の前にいるのは、父だが、
別の人がいるのがわかるかと、
諭された。

それで、玄室さん眼から鱗が落ちたそうで、
礼節の大切さを知る事となった。

玄室さんは、父上の大きさ、厳しさを、
その時知った。

やがて、改めて稽古をつけてもらうことを、
お願いに行き、父上も快諾してくれたという。

玄室さんが自ら気づくように、
教えられた父上も大した方である。

10代に入り、自我が目覚めた玄室さん、
家には内緒で東京の中学(早稲田、学習院)を、
受ける準備を内緒で計画するも、
露見し、結局親の意向で同志社の中学に進んだ。

かすかな玄室さんの抵抗も、
むなしく挫折した。

このときに、家元を継ぐ身であることを、
若いときが肝心と、
家元学を伝授された。

玄室さん、同志社にいってよかったこともありました。
語学もふくめ、広い視野を持つことが出来たと、
感謝している。

ところが、玄室さんも運命に逆らえない、
大きな転換機が訪れた。

昭和16年4月に同士社大予科に進学、
その年の12月太平洋戦争勃発、
18年に12月に召集された。

学徒出陣である。

しかし、このとき玄室さんは、
「これはもう二度とここに帰ってこられないなと。
一方で、ああ、家元を継がなくてもよくなったんだとも思いました」・・記事本文より抜粋
と、このように語っておられた。

千玄室さんの、偽らざる気持ちが、
よく現れた言葉である。





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