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zoom RSS サワコの朝 小日向 文世

<<   作成日時 : 2012/07/14 10:47   >>

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今、演技派俳優としてなくてはならない存在になった小日向 文世。普段は、いつもニコニコしている。その裏側にあるこれまでの人生、これからの人生への歩みを語った。

18歳で北海道から状況した小日向 文世。すでに、兄と姉が上京していた。高2の時に東京に遊びに来たとき見た夜8時ごろの銀座の明るさが、ディズニーランドのようにみえた。やっぱり東京だと強く思った。

東京での生活には、何の不安もなかった。はじめから俳優になろうと思っていなかった。絵をかくのが好きだったので美大を目指そうとしたが、何しろ主要五教科が2だったので、あきらめ、デザイン学校にいった。そこで出される課題には懸命に取り組んだ。

しかし、その冬のこと、小日向 文世に不運が襲った。姉と夜行バスでスキーにいき大怪我をおった。計6回の手術をうけるという。一年間は、怪我との戦いだった。それから、写真学校へいった。でも、写真じゃ自分を主張できないとやめた。本当にやりたいことは、もっと自分が前に、写真などにとられる側の人間になろうと考えた。

そして、俳優になるべく「文学座」を受けた。当時大人気の文学座の受験に応募したのは、30人枠に6000人だった。一発で小日向 文世歯落ちた。バイトをしながらの生活で、バイト先の人に中村雅俊のコンサートツアーの手伝いをやってみないかと誘われいった。

小日向の役割は、効果係。それから中村雅俊の付き人もやった。芝居をやりたいだったらどこかの劇団にはいったらと、中村にもいわれ、文学座ではなく「自由劇場」の試験をうけ、合格した。

そこで、演技の基本を小日向 文世は学んだ。「ちゃんと気持ちを動かしなさい、役をちゃんと作りなさい」と指導された。しかし、その自由劇場がなくなり、事務所に所属したが、仕事がなく借金生活がつづいた。当時、結婚し、幼い息子もいた。でも、奥さんはあえて働けともいわなかった。みじめではなかった、

俳優・小日向 文世に転機がおとずれた。三谷幸喜の舞台「オケピ」に呼ばれた。そこから、TVの世界からも声がかかるようになり、木村拓哉主演のドラマ「HERO」に抜擢された。

そして、昨年、三谷幸喜が小日向 文世をモデルとする映画「国民の映画」の主役に小日向 文世を選んだ。小日向自身は、自分を選んでくれた三谷への思いもあり、プレッシャーとの戦いだったと振り返った。

しかし、その映画での演技が認められ、見事その時の読売演劇大賞の主演男優賞を勝ち取った。小日向 文世にとって初めての賞獲得だった。

小日向 文世は、大怪我を経験してから、自分がのぞむことを自分にやらしてやろうと考えるようになり、それを実践している。自分の息子にも、自分のやりたいことをやればいいと思っている。

どこで幸運がめぐってくるかわからない。くさらずに常にいつ呼ばれてもいい状態に準備をしっかりしておくことが大事ですね。良くも悪くも、どこかで誰かがみているかもしれないから。諦めないことでしょう。




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記憶の中で今もきらめく曲 キャット・スティーブンス「Morrnning Has Broken」 東京は夜遅くまで明るい!北海道は8時で真っ暗。 上京した頃を思い出す。 ・・・・・・ ...続きを見る
.net.amigo
2012/07/14 11:13

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