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zoom RSS ホンネ日和 カンニング竹山×芹那(SDN48)

<<   作成日時 : 2012/03/19 16:12   >>

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3月31日解散することが決まっているアイドルグループSDN48の芹那(せりな)が、コンビからピン芸人になったカンニング竹山に一人になるという現実にどう向き合うべきかを問うた。

竹山はどんな子供時代を過ごしたのか?
超お坊ちゃん生活。お抱え運転手に白いベンツで幼稚園への送り迎えをしてもらっていた。竹山いわく、「成り金」だった。それが、小学校3年生の時に、父の会社の倒産により生活が一変した。子供たちの前に号泣する父を母をみて訳がわからないまま、とにかく怖くて泣いた。

お金が人を変えるという現実を小学生の時に体験した。それまで優しかった親戚や会社のおじさんたちが、「金返せ」と形相を変えて迫ってきたからだった。

変わったのは家族関係もだ。
それまで、成り金生活で母が直接子育てをすることなくお手伝いさんに育てられてきた竹山だが、母に育てられるようになった。兄弟も母を支えようと家族の絆が深まった。

芹那は、北海道生まれの北海道育ち。物心ついて頃から、芸能人になることを願っていた。北海道ではそんなチャンスはないと、18才で上京した。

カンニング竹山がお笑いの世界に入るきっかけは?
19才、高校卒業をし、福岡で仲間とバンド活動をやっていて、MCをやったりして、うけたのもあり、お笑いの道に興味を持った。その頃、吉本興業が福岡事務所をたちあげることになり、地元福岡のTV局でオーディションがあり、竹山と組みが優勝した、ちなみに、その時の特別賞は、博多・華丸のコンビだった。

華々しくデビューして間もなく、仕事が入るようになり、思うように仕事をこなせずノイローゼになり。一年で逃げてしまった。やがて東京へでていった。

相方との出会いは?
相方とは元々小学校の友達。たまたま竹山が西荻窪に住んでいて渋谷でのバイトの帰りに西荻窪の飯やにはいったら、後に相方となる亡くなった中島と偶然に出合った。中島の方はというと、板前をしていて先輩と衝突しやまたところだった。それがきっかけで、中島の住で同居生活をするようになった。

お笑い芸人をやらないかと竹山が誘い、一年後に「カンニング」を結成した。

芹那(SDN48)は、SDN48でがんばろうと考えていた矢先に、劇場支配人から3月31日でSDN48が解散すると知らされた。突然のことで、ソロ活動を余儀なくされた自分をどうすればよいかを竹山に相談した。

カンニング竹山の相方中島が白血病で倒れ、2年間の闘病生活をしたが、残念ながら中島は帰らぬひととなった。否応なしにピン芸人でいくしか選択の道がなくなった竹山。とにかく、カンニングの名前を残していくためにも自分が頑張るしかない。前を向いて歩くしかない、立ち止ることはできないと覚悟を決めた。

相方の死は、予測されたことだったが、2006年12月に亡くなり現実となった時はすぐには受け入れることはできなかった。

芹那にたいして、ソロ活動でがんばることでSDN48の名前も残る。だから、立ち止らずにとにかく前に進めと進言した。

人生の大半は、予定不調和だ。そうわかるには、ある程度の年令と時間がかかる。いずれにしても、立ち止らずに前を向く気持ちを持ち続けることが、特に若い人に必要なことだと考えます。私自身のこれからの人生についてもそうです。一歩、一歩、歩んでゆく以外にありません。諦めなければ道は開けます。

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