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zoom RSS ホンネ日和 小椋久美子×高橋 優

<<   作成日時 : 2012/03/12 15:52   >>

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共通の知人をかいして知り合った同い年の男女。二人は何度か食事をしたことがあった。いつもワイワイ言っているだけで、じっくり二人で話をしたことがなく、今回が初めて。互いを語り合い、理解し合う機会を得た。

小椋久美子(28)は、元バトミントン選手。潮田令子とのダブルスで全日本選手権5連覇をはたし、出場した北京五輪では惜しくもメダルを逃した。2010年現役を引退し、スポーツインストラクターとしてバトミントンの普及に努めている。

シンガーソングライター高橋 優(28)大学時代からメジャーデビューまで6年間路上ライブをしていた。こころの叫びが聞く人の心をつかまえた。結果、2011年上半期ラジオチャート邦楽1位を獲得した。

小椋がラケットを握るきっかけは、4人兄妹で兄、姉の影響でバトミントンをはじめた。小学校4年生から中学まで東海大会でずっと優勝していた。しかし、全国大会の優勝は、高校までなかった。オグシオの潮田との出会いは小学校のころ。同じ社会人チームでオリンピックにでた。

腰のヘルニアに苦しんでいた小椋は、ずっと練習が出来ない状態が続き、何度も辞めようと思った。社会人で出来なければ実家に帰ろうと思っていたが、三洋電機から誘いがあった。その後、日本代表となりオリンピックにも出場することができた。

路上ライブで立ち止まるのに勇気がいるという高橋。歌う方は、腹くくっているから歌えるが、誰かが立っていないと立ち止りずらいものがあるのに、立ち止ってくれる人がいた。そういう人たちが、励みになった。

メジャーデビューして1カ月後入院した。のどを痛めていた。ラジオ・テレビ・雑誌と呼ばれるのは嬉しかった。日中は大丈夫なのに、家に帰ると疲れている自分がいた。昼と夜のオンとオフの切り替えがうまくいかなったようだ。

プレッシャーは?
小椋は、めちゃめちゃ感じた。世界選手権3位になったとき、日本を出るときと違って帰ってきた時の報道陣の多に
戸惑った。国民全部の応援を背負っている感じだった。よく眠れないこともしばしば。過熱報道で自分を見失った。心からの応援を勝手にプレッシャーにしていた。他人のため、ファンのために頑張った。

オグシオ別れの理由は?
8年間ペアを組んでいた。4年間頑張ることに意味を感じていた小椋。一方、潮田は、1年1年を見ていきたいとかんがえるようになり、袂をわかった。自分は引退した。今までダブルスをやっていて、シングルスの自信がなかったから。

高橋 優、ソロシンガーの心境は?
音楽は、誰かと競ってやるものではない。誰かよりも会場の人と対峙している。「カリスマ」「代表」という意識はない。みんなと同じところにたっている。そうでないと曲も書けない。

小椋は、自分のことを考える前に他人のことを考えて、辞めれなかったが辞めたら気持ちが楽になった。記者会見もしたくなかったが、ファンやお世話になった人のことを思いやった。「お疲れ様」と終わってからのメールをたくさんもらった。

新しい道での悩みをもつ小椋。何もない自分がなぜTVに読んでもらったりするように扱ってもらえるのか、自分に自信が持てない。バトミントンを辞めた自分に価値はないとむなしくなった。

自分よりまず人を考えるところに、小椋は優しい人だと表現した高橋。才能について、誰にでもみんな存在がオリジナルなんだ。高橋は、自分の声、曲を特別なものとはとらえていない。自分は、唯一無二のもの、自信をもっていいよと小椋にエールを送った。

等身大の自分と向き合う二人の会話は、人への思いやりを感じさせる優しい雰囲気に包まれた物だった。誰にでも苦しみや悩みはあり、どう向き合い、乗り越えていくかをどこかで誰かに話せることはいいことだと感じた。


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