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”求められているから、ここにいる”。日本を離れて16年、ミャンマーの地で恵まれない子供たちの未来のために、自らの生涯をかけ子供たちを少しでも「陽のあたる場所」へとの想いで、奔走する一人の小児外科医・吉岡秀人が情熱大陸で、その生きざまを見せてくれた。 一人の少年が吉岡の元にやってきた。「脳瘤」とよばれる生まれつきの穴があき、放置しておくと命の危険を招くために、手術を受けにきた。ミャンマーの病院では、設備が十分ではないので、麻酔をかけられる時間が2時間と限られる。だから、手術はいつも時間との闘い。小児外科医・吉岡秀人は、16年間無償で診察・治療を続け、1万人以上の幼い命を救ってきた。 ミャンマーの人々の平均月収は、おおよそ3000円。どんな命も、求められて生まれてきた。貧困が理由で十分な治療を受けられないことで、子供たちの病気を悪化させる。それを防ぎたいと願う。休む暇なく手術を続ける。報酬は一切なし。生活費は、持ち出しだ。 ”僕がここでこうやっていることが、幸せに直結している。誰もこういうことをする人がいないから、迷う必要はない。だから自分が存在している”、そう語る吉岡だった。 ミャンマーでのHIV感染者は、人口の1%を超え、親が感染し、孤児となった子供たちが海外に売られたり、そのまま放置されたままの状態が多い。吉岡は、小児科医としての枠を超えるものを手掛けようとしている。寄せられた善意の寄付で「孤児院」を建設すること。 吉岡が立ち上げた国際ボランティア組織「ジャパンハート」。お寺が経営する病院「ワチェ慈善病院」を借りて、診察や治療を行っている。日本人のスタッフは、無償・無給、寄付でまかなわれている。 吉岡のいる病院に、悪性腫瘍患者の少年がやってきた。長く生きられて2年ぐらい。しかし、病気は治せなくとも、病人の心は救える。吉岡は、手術を決断した。手術中の停電は、ミャンマーではあたりまえのこと。むだでなければ手術する。少年は、学校へ行けた、マーケットへいけたという記憶がもてる。 手術後、少年に笑顔がもどった。元気になったら吉岡とミャンマーの有名なお寺に行く約束をしていた。はからずも、その約束は、果たせず少年はなくなった。しかし、少年の家族の記憶には、少年がお小遣いをためて、吉岡とお寺にいくのを楽しみにしていると笑顔で話していた記憶が残った。それでいいと、吉岡は考えている。 ミャンマーにいる子供たちの命を脅かす大きな原因に気付かなかったことに、気付き始めた。医者って、メスだけ握っていればいいわけではない。「エイズ」の問題から子供たちを守る。タイとの国境付近のミャンマー「シャソ州」では、ここ数年「エイズ孤児」が急増し、社会問題化している。川を隔てたタイに売られていく子供たちもいる。 エイズで亡くなっていく親たちは、残された子供の事を心配し、残った子供たちをちゃんとみてくれる所を見つけてくれることを望んで死んでいくと、吉岡はいう。吉岡は、その親たちに「自分たちが、学校へ行かせ、大学に行きたいと言えば行かせ、職をみにつけさせ、生活できるようにする」と、約束する。 なかには、子供たちみずから孤児院に行くという子供もいる。自分が行けば兄弟が助かるから。親に死なれ残された子供たちも不安をだき、亡くなっていく親たちもかわいそうだと、吉岡は訴える。 孤児院に連れていく前に全員の健康診断をする。すでにエイズに感染し発症している子供もいる。出来ることは、薬でエイズの進行をおくらせるだけである。バスで14時間かけ、30人の命と未来を引き受ける覚悟でヤンゴン近くの「孤児院」に到着した。 ”人間は、一つの道しか選べない。一つの生き方しか選べない。幸福にならなけれならないし、幸福にしてやらねばならない。引き受けたからには、そんな想いがある。”そう語る吉岡である。 孤児院では、20人のミャンマー人が子供たちの面倒をみる。子供たちは、貧しくて食べれずに、初めて食べる食べ物もある。1か月一人に5000円かかる。そのうちの3000円が食事代である。それしかないので、肉ばかり食べさせるわけにはいかない。やりくりが大変なのである。 慣れない場所である孤児院に来た子供たちに、寂しい想いは消えない。楽しい思い出に塗り替えることは出来る。成人して社会に役にたつ子供たちを巣立たせる。今年中に、300人受け入れる準備をしており、3年後1000人の孤児の受け入れを計画している。 ”求められてここにいる”、それが吉岡なのだ。 無償の愛が現実にあることを吉岡によって見せてもらった。どんな子供たちでも、その親たちでも、貧困という理由で不幸でいることを、なんとかしようと、吉岡は立ち上がった。休むことなく、次なる子供たちを受け入れるために、無償・無給で子供たちに向き合う。 お金さえ出せば援助したことにはならない。そこには「無償の愛」の存在抜きでは、「エイズ孤児」を救えない。人間の生き方として尊いものを、我々に示してくれた。現実の私たちの普段の生活がいかに幸せかを思い知らされる。当たり前が、当たり前でない国、子供たちが現実に存在する。 |
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