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help RSS 苦労の数だけ、人生は実る 米農家・石井 稔

<<   作成日時 : 2010/11/02 13:44   >>

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NHKプロフェッショナル「仕事の流儀」に米農家・石井 稔が登場した。この男の作るる米は極上の米、「奇跡の米」と呼ばれる。それは、極上の愛情を米に注いだなればこそ、そう呼ばれるのだと、強く思った。「稲に話しかける」姿勢は、こどもに話しかけるそれと同じだ。そんな人だから、稲もがんばり、お米もおいしくなる。人と人もそういう関係であれば、問題は少ないだろうにと、感じる。

米農家・石井 稔(69)の作る米は、3年連金賞を受賞。石井の作品である米には、一粒一粒に愛がやどる。米作りに従事して半世紀近い。石井の作った米は、通常の5倍で取引される。「黄金のどじょう」がいる田んぼは、命の楽園である。

石井は、宮城県登米市で、50年近く米づくりに関わってきた。石井は、毎日、2丁8反、東京ドーム半分の広さの田んぼを耕し、全て有機農法で栽培している。毎日、石井が必ずやることがある。見回りをし、稲に声かけし、必要な手当てをしていく。稲を育てることで、自分も育てられると考える。

「稲は、人を見て育つ」、これが石井の信念だ。

一K1500円、通常の5倍の価格、3年連続米の美味しさの品評会で金賞を受賞し、その米は「奇跡の米」と呼ばれる。その米は、型破りな農法によって生まれる。通常の米作りより、1か月遅らせて稲刈りをする。秋の寒さにさらされることで強靭な稲になり、うま味が凝縮されていく。

あえて稲を厳しい環境にさらすのは、こどもを厳しく育てるのと同じで、稲に対する深い愛情からであり、稲のもつ生命力を引き出してあげることになる。5月末には、家族総出で田植えをし、苗をふとくたくましくと思いをかける。

石井のプロフェッショナルとしての匠の技は、田んぼへの「水やり」にみられる。気温の高低により、田んぼへの水やりを調整する。寒い時は、水をせき止め暖め、熱い時は、水をかけ流し、冷やしてやる。そうして健康な稲に育て上げる。健康な稲は、針と同じ、ぴんとはっているという。

石井の使う肥料は、特性のもの。石井オリジナルである。その肥料を使い、微生物を有効利用する。そうするといろんな生物が息づく場所にする。有機物から養分を吸収し、命がやどる。「黄金のどじょう」とよばれる黄金色のどじょうが生育する。田んぼの生き物。石井は土かてきた技の結晶を注ぐ。全部労力、自分が本当にやるきがあるかだという。

6月になると石井の本当の闘いが始まる。難敵「雑草」との闘い。したたかな雑草との闘いは、これで終わりということがない。根気よく、雑草ともつきあっていかないといけない。あくなき雑草との闘いが続く。自然と向き合う石井の流儀がある。「畏れを忘れず、あきらめるな」。何とか出来ることを全力でやりきるだけ、そう石井は考える。

最大の試練、台風と対峙するとき。稲に声をかけ、風を防ぐ手立てをする。稲の生命力と台風との闘い。稲を「信じる」。稲は翌日台風との闘いを乗りきった。

稲と話せるって本当ですか?その問いに石井は、声は聞こえないけれど、気持ちはわかるという。生きているもの全て人間の声を聞いている。石井の楽しみは、自分の育てたお米を食べること。

石井は、昭和16年宮城県の農家に生まれた。家は貧しく高校に行くお金もなく、石井は中学を卒業すると、農業に従事した。20才の時、同級生だった女性と結婚した。狭い土地で沢山収穫しようと、化学肥料を大量に使った。20代半ばで、体調に異変が生じた。農薬を減らし、有機農法をとりいれることになる。

46才の時に変化が訪れる。農薬を減らし作った有機栽培の米は直接消費者に売ってもいいとわかり、貧しさからぬけだせるかとの願いもあり、全ての田んぼを有機にかえた。が、しかし突きつけられた現実は厳しものだった。作っても作っても米を買ってくれない。どん底の生活に陥った。

収穫した4トンの米は、肥料として田んぼにまいた。借金はふくらむばかり。奥さんの作る野菜の販売で何とかしのいでいた。それでも、奥さんは石井を信じ、愚痴一つこぼさなかった。互いの夢として、有機に賭けた石井を全面的に支持し、応援してきた。奥さんは、主人である石井は、途中で投げ出す人じゃないと信じていた。

自分ではそれしかできない、何も出来ないと、石井は、米作りに一心不乱に取り組んだ。誰もがほしくなるようなとてつもない米を作ることに賭けた。

ある時、妻が作るほうれん草に石井にひらめきを与えた。冬の寒さに甘さを増すほうれん草。それを米にも、応用できないかと、そこから稲の収穫時期を1カ月遅らせ、寒さを米に経験させれば、おいしい米になると考えた。

有機に転換してから6年目、予想外の冷害に見舞われた。8月になっても稲がふくらまない。稲を見守りながら、稲をはげまし続けた。9月初め、信じられない光景を、石井は目にする。稲がいっせいに穂を出し始めた。苦労が実った瞬間である。異例の大豊作、注文が殺到した。味が大評判となった。人生の苦労を乗り越えた。

7月8日稲が順調に育ち過ぎているのを石井は気にかけていた。異常気象で「カメムシ」が大量発生した。稲にストレスがかかる「高温障害」が見られた。水をどう田んぼにいれるか、止めるのかの判断に迫られた。ぬるま湯の状態の田んぼの水は、稲によくない。思いきって水を抜き、酸素をおくりこんでやる作戦を決断した。

3日後、田んぼに水を戻した。午後から大きく伸びた雑草をかる。稲のために出来ること、それを貫き通した。後は、「稲におまかせ」。石井は、稲を信じていた。8月29日稲はどうにか猛暑を乗り越えた。石井の思いに応えてくれた。穂にみがつまっていた。

9月20日いよいよ収穫の日。最後の大仕事であるいつ収穫するのかを決める。気がかりは、数日の雨。下の地盤が緩む。キャタピラーが食い込み、稲の根を傷める可能性がある。9月30日、葉もよし、穂首もよし、このタイミングを逃すと米の品質が落ちる。しかし、石井には土のぬかるみが気になった。稲の根を傷めると来年に影響を持ち越すから。

目先にとらわれることなく、ベストのタイミングを「待つ」。

10月3日土がようやく乾いた。石井は、田んぼで稲に「ご苦労さんでした」とねぎらった。刈り取った米を空気にあて、味を熟成していく。新米を炊き、石井は妻とともに味わう。納得の味である。異常気象も乗り越え、稲は石井に実りをもたらした。

石井の米にかける情熱、その執念、そして愛情の強さに感動を思える。自分一人で出来ることをよく理解し、自然と仲良くしながら生きて来た。以前、プロフェッショナルに登場した「奇跡のりんご」と呼ばれるりんごを作っているりんご農家・木村秋則の姿を思い浮かべた。自然にいかされているという木村の精神と石井のそれとが、同じである。

生き物も人間も同じというスタンス。互いの信頼関係なくして、いい結果はえられない。不屈の精神を持つ男、石井。そのそばにいつも妻の支えがあった。一人では生きていけない、まさしくそう思える内容だった。

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