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亡くなった向田邦子が、 生誕して今年で80年。 その向田を介して結ばれた3人の、 楽しい大人の話しが繰り広げられた。 フジTV「ボクらの時代」 お笑い芸人の太田光は、幼少のころから向田のドラマ「寺内貫太郎一家」などの大ファン、 女優風吹ジュン、向田に会った時に、無国籍な人と言われた。 向田和子、邦子の妹、60才から邦子についてのエッセイを書いている。 向田邦子は、余り役者との関わりをとやかく言わなかったが、 風吹の事は、好きだったようだと和子が語る。 太田と和子は、「知るを楽しむ」という番組で知り合う。 和子は、邦子にとって一番気の許せる存在だった。 風吹は、自分は何も考えない人間で、本能で生きていると分析する。 太田の風吹感は、何かしでかしそうな雰囲気、 石原真理子もぶっとんでしまいそうなという。 向田邦子は、80年に直木賞受賞、81年に残念ながら航空機事故で亡くなる。 向田が生きていればもっとすごいものが書け、 事故の時もパニクらず、冷静に状況を書いていたように思う、 と風吹は振り返る。 太田は、向田の表現で言葉にしていないところに魅力を感じている。 太宰治は、真逆に全てを言葉にしているという。 向田邦子は、320篇のエッセイを書き、 その中でも、食に関するものを多く書いている。 向田邦子が食べることを楽しんでいたと太田は捉えている。 男は、食べ物より人生とは何かなんて考えてしまうところがあると語る。 太田は、自分自身について、 言葉が多く言い当てていない部分が多いと反省する。 風吹は、太田のありようそのものが伝わっているとフォローする。 表現は、セックスと同じとは、太田の考え。 男は、単純だという。 風吹も同意見、一方的だし投げかけてくれないという。 自分は演技できない、その気持ちにならないと、 そう自分を表現する風吹。 向田の文章は、言葉と言葉の間で何も言わないものが、 伝わってくると、太田は話してくれる。 向田は、エッセイ「字のない手紙」を書いている。 向田の父が、妹和子に元気な時は丸印を書きなさいと、 自分宛の無地の手紙を渡していたことが書かれてある。 それを、和子はエッセイを読み始めて知って感激した。 親から子供への無償の愛だと、風吹はいう。 自分の子供が海外留学した時に、 手紙でコミュ二ケーションした経験とだぶらす。 太田は、自分の父の正直なところが好きで、憧れを感じている。 決して強がらないし、マッチョ的でない。 どこか日本人は負けているから、アメリカのようにマッチョ的でなくていいと話す。 必ずしも人は、強くなくていいと太田は考える。 戦争中の情報収集は、邦子の役目、 父は防空頭巾をかぶっていばっているだけだったと和子が振り返る。 男より女の人の方が、度胸がいい、そう思う太田。 和子は自分の母は父親を立てていたが、 その方が楽だからと一枚上手だったと話す。 最近の近所関係、人間関係について。 今晩「たけしの日本教育論」という番組がフジTVで放送される。 そのことに触れて太田は語る。 その中で、近所好きあいが最近少なくなってきており、 昔がいいというわけではないが、 自分の価値観を他人に押し付ける、おせっかいな人が少なくなっている。 近所のおばさん、おばあちゃんがうるさくいうようなことが。 風吹は、同じ場所に育ち、 暮らすことが少なくなったからだと思う。 私たちの地域では、同じ世代で同じような環境で育った経験をもつが、 最近では、そうでない人が地域に多くなり、 普段の関係が希薄で、無干渉な関係が多くなったと感じる。 向田和子は、昔は程よい関係、距離感が人と人にはあった。 親しくなっても、ずかずかあがりこまないような。 最近は、その距離感がめちゃくちゃになっているという。 人と人との距離感の大切さを痛切に感じている。 向田邦子が繋ぐ3人の関係は、 ほどよい距離感があり、 大人な間がある。 相手を重んじる心が大切と、 程の良さもなければいけないと思う。 気持ち新たになる朝であった。 |
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『向田邦子 その人生と家族観』というイベントがあります。http://www.nwec.jp/ |
たぴおか 2010/02/03 13:14 |
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