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「樹木には、生きる意志がある」と、力強く語る、 屋久島に唯一人の、 樹木医が、日夜、樹木の生命を見守る。 「情熱大陸」に、世界自然遺産として、 日本で最初に認定をうけた屋久島に、 孤軍奮闘する樹木医・荒田洋一の姿を見せてもらった。 樹木医は、庭師など樹木に携わる仕事を7年以上経験し、 筆記試験を受けて選ばれる。 現在全国に1608人だけ、今年は120人が合格しただけ。 その仕事は、地味で、しかもそれだけでは、 生活をすることは、難しいといわれる。 荒田とて、例外ではない、 副業的に、島のガイドをやっている。 九州の南60kmに位置する屋久島は、 その島固有の保有種が40種類にも、 およぶという貴重な自然がそこには存在する。 屋久島では、自然の営みを、 「土埋木」・・どまいぼく・・に見ることができる。 いつ倒れたかはわからない樹木が、 土に帰り、養分となりあらたな樹木の誕生へと繋がっている。 しかし、屋久島では江戸時代から下がるにつれて、 形のいい杉は伐採の対象となり、荒れていった。 荒田は、森と人との共生はむずかしい。 森になるべく手をいれない、 でも、時どきは見てやって、 守ってやらないといけないと、考えている。 5年前、荒田は樹木医の資格をとった。 荒田の住む屋久島の人たちは、 今も物々交換をしたりして、 「人も心も、気温もあったかい」と、 地元の人が、笑顔で語る。 荒田は、今その特徴ある姿から「仏陀杉」と、 呼ばれている樹木の保護を訴えている。 「仏陀杉」は、樹齢1800年、 そのいびつな姿が、 伐採からまぬがれたかもしれないという。 役所への治療方針を書いた報告書を出し、 それはやがて国の許可の下りるのを待つという、 時間の要する、根気のいる仕事でもある。 「仏陀杉」を待ち受けている難問は、 樹木の命にかかわる、地面の水はけの悪さ。 水はけの悪さが、根を腐らせていた。 その地面の色などを、 カルテとして残しておくのも、荒田の大切な仕事。 国からの許可がおり、荒田たち、 地元の有志10名で治療に取り掛かる。 樹木の水はけをよくするため、 水路を地面に作る。 しかも樹木の根をいためないように、 細心の注意をはらいながらやらねばならない。 悪戦苦闘を重ね、荒田たちは、 新たな水路を確保し、 「仏陀杉」に再び元気になれよと願う。 今回の荒田の治療は、 いわばバイパス治療のようなものといえる。 幼いころから屋久島に育った荒田は、 高校時代から山岳部で毎週山にはいり、 その度ごとに、伐採されていく樹木の、 悲しい姿を多く見てきた。 伐採を免れてきた樹木をみると、 荒田は「長生きしろよ」と、 声をかけてやる。 荒田は、自分のしたことは、 ちょっと手を添えただけという。 それこそが、樹木の寿命を長く保つ、 大切な考え方である。 これから500年、1000年の時を、 刻んでいってほしいと。 医者と同じで、 患者である樹木の定期健診も行う。 種子島の絶滅危惧種である松の一種で、 「ヤマタネゴウ」とよばれる松を診る。 2年前、枯れた枝を落とし、 点滴をほどこし、切り口を雑菌から守るために、 薬を塗ってやっていた。 元気を取り戻した松の傷口からは、 樹液のしずくがたれていた。 それは、樹木の自然治癒力をしめすと、 荒田はいう。 荒田は屋久島の将来を託すこどもたちに、 樹木の偉大さをしってもらい、 それを未来に残してほしいと願う。 荒田の癒しは、樹木を見たひとの、 感激から湧き出る歓声。 努力は裏切らない、 しかし地味でなければならない、 まさしく荒田の樹木に対する姿勢を表している。 |
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