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博士の愛した数式 小川洋子

2008/01/31 13:38
「博士の愛した数式」 小川洋子著、(新潮社文庫本)
到着を待ちわび、手にして一気に読み、
心地よい興奮を味わい、新たなる世界を体験、
本を読む楽しさを再確認した。

「博士の愛した数式」 小川洋子、
茂木健一郎さんの「科学のクオリア」で、
小川洋子さんとの対談で本書の存在を知った。

数学を題材にしているとあり、
どんなものかと、難しい数式が一杯かな?とか、
想像していたが、全然平気であった。

数式も一つの言葉として感じられたからです。

主人公は家政婦、シングルマザー、
その母親も、シングルマザーだが、
全くストリーとの絡みは感じられない。

主人公が家政婦として派遣された先に、
60過ぎの男がおり、
その男を博士と呼んでいる。

そして、主人公の息子はルートというあだなを、
博士からつけられた。

理由は、子どもの頭のてっぺんが平なのと、
ルートには、どんな数字もひきうけるやさしさがあるという、
二つの根拠を博士は、示した。

博士は、交通事故がもとで脳に障害を持ち、
記憶できる時間が80分と限られている。

だから、80分を過ぎると、
記憶が元に戻り、
一からスタートする。

それを本人も理解しているので、
要点をメモし、自分のコートにクリップで、
メモを挟んでいる。

よく見えるところに、「私の記憶は80分」と書かれてある。

博士の記憶が途切れると、
必ず誕生日はいつから始まるのも、常であった

博士との会話で禁句は、
「それ、さっき聞きましたよ」である。

80分しか記憶のない人には、
その時が、初めての質問だから。

その博士と、主人公、その息子ルートが、
織り成す人間模様が描かれている。

自分の殻に頑なに閉じこもって、
人をよせつけない博士も、
次第に主人公やルートと、
交わる事で心を開きかける。

特にルートには、格段の無償の愛を傾ける。

主人公には、義姉がおり、
生活の面倒をみている、
主人公が密かに心を傾けた相手でもある。

本書における数式、数字は、
あくまでも言葉のひとつ、
数字のもつ美しさ、複雑さを、
博士は、主人公にやさしく語りかける。

博士はなにかにつけて、
数字を用いて表現する。

小川さんの表現はあくまでもストレート、
余分な装飾のない、
かといって決して冷たさを感じさせない文体で、
読む者を自然に引き受けてくれる。

この本を書くにつけて、
もともと数学が苦手といわれていた、
小川さんとは思えない数字に対する、
入り込み方には敬服する。

私は、はじめの部分で出てくる、
博士のいう数字の持つ意味を知り、
一気に本書の中に入っていけた。

私は数字に友愛数があるとは知らず、
博士に私は教えてもらった。

と、同時にここを読んで数字に対する、
警戒心が薄らいでいくような心地よさを味わった。

博士がまず主人公に
「君の誕生日は何月何日かね」と尋ね、
「二月二十日です」と答える。

二月二十日=220

博士は220と284の関係は友愛数だという。
220の約数の和は284、
284の約数は220、
したがって二つの数字は友愛数だという。

う〜ん、ロマンがあっていいですね。

220=1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
284=1+2+4+71+142=220(約数のなかで220,280、自分自身は除く)
(約数=余りの出ない数字、1、自分自身も入る)

数字、数式も数学者にとっては、美しい存在。

私たちもそう感じられれば、
数学を身近に感じられるかも知れない。

読み終えて、何かほっとするものがあった。

普段、置き忘れている人に対する優しさ、
普遍的な愛があることを知らされた。
久しぶりにいい余韻を味わった。

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リーダーは、太陽であれ プラント 建設現場所長・高橋直夫

2008/01/30 16:15
彼に任せれば出来たも同じ、
彼を信じれば成功すると言わせる、
人呼んで「砂漠のボス」と呼ばれる、
プラント建設のプロが登場した。

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に、
プラント 建設現場所長・高橋直夫が出演し、
プラント建設にかける思いを熱く語った。

高橋の仕事への信頼は、
世界中からくる依頼が証明している。

舞台はサウジアラビア、
国営石油と日本の大手化学メーカーの合弁による、
大規模プラントの建設の真っ最中。

高橋は週に一度作業工程を1700に分け、
数値化し、進捗状況を詳細に把握する。

現場では、日々想定外のトラブルに見舞われる。
例えば、伝達の行き違いにより、
高額な部品を作業員が捨ててしまったり。

そんな時、高橋が一番恐れるのは決断を遅らせ、
工期に影響をきたすことであった。

すぐさま、新たな部品の手配をした。

常にこころしていること、
決めないリスクより、決めるリスクを取る。

どのような状況であろうと、
高橋は動揺を表にださず、
部下達を引っ張る。

「リーダーは、太陽であれ」、笑顔を絶やさない。
よりよいパフォーマンスをあげるため、
考えすぎると、体、考えも鈍くなると、高橋は考える。

笑って、仕事をしろと部下にも、
自らにも言い聞かせる。

仕事を進める上で、高橋は指示の徹底にこだわる。
指示したつもり、しているはず、
最後の確認を怠り勝ちだから。

それがひいては、大きな損失を招く。
いやというほど、高橋は自らの失敗で体験している。

だから、部下にはひつこいぐらい指示を確認し、徹底する。
たとえそれがもとで、嫌われようとも。

さもなくば、100億円単位の損失をまねくとわかっているから。

高橋の現場には、一つの特色がる。
出稼ぎ労働者を自前で教育し、
レベルアップを図っている。

相手にとってスキルアップすることは、賃金アップにつながる、
こちらにも仕事のレベルがあがるという、見返りがある。

相手の得は、自分の得、高橋の心得。

高橋には、過去の苦い経験がある。
サウジアラビアのプラントで、
自分の判断ミスで工期が大幅におくれ、
大きな損失を招いた。

もとはというと、ちいさなほここびだった。
それが命取りとなり、傷口が広がった。

当然高橋は所長の仕事を奪われた。

それにより、高橋は小さな問題こそ、
全力であたれという教訓を得た。

失敗から多くのことを学んだ高橋は、
その後技術面、経営に関わる文献を読みあさり、
必死に勉強した。

仕事で受けた傷は、仕事で返す、
そう肝に銘じたのである。

二年後敗者復活し、高橋はサウジにたった。
高橋は何よりも、指示の徹底と、作業の進捗状況の確認を徹底した。

工期を4ヶ月短縮し、高橋は、仕事上の過去のかりを仕事で返した。

失敗が教えてくれたもの、失敗を恐れない、
克服し成功体験をする、させる、
これも、高橋のこだわりである。

リーダーとして、逃げない、
諦めないという強い気持ちが大事だという。

今、高橋はサウジでビックプロジェクトに、
責任者として関わっている。

一番の課題は、人手不足をどう対処するかにあった。
どう考えても130人の溶接工が必要であった。

東南アジアは勿論のこと、
賃金の高い日本からも呼び寄せ、
やっとこさ130人までにこぎつけた。

年に2度あるCEO会議で、
高橋はメンバーの信任を得なければならない。

そのための大事な会議で、
高橋は、自分の決意をスライドに書かれた、
2008年5月30日という工期期限の日時を、
バックに皆で写真を撮ろうと提案。

ON TIME!
高橋の命題である。

これが自分の覚悟だと。
その思いは、メンバーに伝わった。

何としてでも、諦めずに立ち向かう、
そういう姿勢をしめした。

誰よりも強くできると信じて。

彼らは、We can do it!,
絶対できるぞと、
高橋にいい、承認を与えた。

これからが正念場、
高橋は心臓破りの坂を半年かけて、
全力で登りきる。

私は昨晩ある会合を終え、
複雑な心境を抱えたまま帰り、
高橋の放送をみた。

放送後、諦めるな、
正面からぶつかっていけと、
高橋に背中を押された気がした。





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テープがスルメ状態

2008/01/29 10:18
先日NHKのプレミアム10に「コブクロ」が出るというので、
Vを取る事にしたのはいいが、
何が原因なのか、再生しても録画がうまくいっていなかった。

最近、この手のトラブルは回避できていたのに、
どうしたことか、早速向えの電気屋さんに頼み、
メンテナンス業者を寄こしてもらった。

いろいろチェックするが、
「特に問題ありません」といわれ、
また加齢によるドジかと、
自分に問いかけた。

当然、私としては否定した。

あれだけ学習したのに、
操作ミスなんてするわけないと、
不安を払拭するために強く自分に言い聞かせた。

結局、原因は特定できなかったが、
一つ、勉強になった事があった。

テープがスルメ状態になるということ。

「どういうこと?」と聞くと、
業者の人は、何度も同じテープを使うと、
テープにタルミが出来て、
不具合の原因となることもあると、教えてくれた。

そういえば、昨年買ったVTRにサービスでついてきたテープを、
敵のように酷使してきた。

その話のついでに、
テープは一部分しか使われていない事が、
多いというのがわかった。

多くの人は、頭部分から30分〜60分ぐらい録画で使い、
後は、次に前回部分に重ねて録画する事が多いため。

私も例外でなかった。
フルにテープを録画で使った事はない。

メンテに来てくれた人が、
「DVDだとこんな問題はないし、
映像も綺麗ですよ」と、いわれた。

「わかっとるわい」と心の中で叫ぶが、
本人にはいえず、
「そうでしょうね」というのが精一杯であった・

くやしい!

それどころか、我が家はまだアナログTVで辛抱している。
それでとくに支障がないのに、
頼みもしないのに、地デジなんていわないでほしい。

そんなことを、家内といいながら、
ささやかな世間の流れに抵抗しております。

トラブルがまた新たな知識をもたらしてくれたと、
そう前向きに考えることにした。

夢みるホープフル・モンスターとしては、
録画に再チャレンジあるのみ!

まあ、せめて新しいテープを買いましょう。

今日は、夜に88回目を迎える、
「ざっくばらんに語る会」に出席します。

その後、反省会という名目の飲み会があれば、
今日の[NHKプロフェッショナル仕事の流儀]が見れない。

録画に頼るしかない。
どうか無事に録画できますように!

さあ、新しいテープを買うぞ!
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科学のクオリア 茂木健一郎

2008/01/28 12:43
最初この本を手にした時、
科学なあ、むずかしんだろうなと、
疑心暗鬼であったが、
そんな心配は、すぐに吹っ飛んだ。

科学についての専門的なことは、
難しく理解できないところもあるが、
登場する12人の方の考え方、
こだわりが大変興味深かった。

何人かのひとを紹介します。

まず私が、すでに知っていた人が2人いました。

福岡伸一さんと、長沼毅さんです。
福岡さんは、著書「生物と無生物のあいだ」を、
読んでいたので、比較的はいりやすかった。

本を読んでおいて、良かったと感じました。

長沼さんは、NHKプロフェッショナル「仕事の流儀」に、
出演されたので、強烈な印象が残っていた。

対談を読んで、あの時に言っていたことだと、
これまた見ていた体験が生きました。

このお二人以外で、印象的だった人がいます。
一人目は、第一部「脳の中の宇宙」、
「数学する脳、文学する脳」に登場する小川洋子さん。

もともと理科は、苦手だったが、
「ファーブル昆虫記」などもの、
図鑑には興味をもっていたという。

小川さんは「博士が愛する数式」で、
数学を題材に選んでいる。

小川さんは、こういっている。
初めて数学という題材に出会って、自分が今まで一見、
装飾のない一本の直線みたいな文章にひかれていたことと、
数学を小説にしたいと思う気持ちはつながっていたのだと、
自分なりに納得したのです。・・本文より

数学を題材か、着眼点が面白い。

俄然私は小川さんの作品に興味がわき、
小川さんの著書「博士の愛した数式」を、
アマゾンで購入し、本が到着するのを待っているところです。

一体、どのようなことが書かれてあるのか、
今から楽しみです。

次は、第2部「科学する脳」で対談した、
尺八奏者中村明一さん、中村さんは理系の大学をでて、
バークリー音楽院など海外の大学で学んだ異色の経歴を持つ。

中村さんの話で、尺八を演奏する独特の呼吸法、
体の動きを止める呼吸法「密息」を紹介、
西洋の複式呼吸とは違い、瞬時にたくさん息を吸う、
しかも体を動かさずにですよ。

すごいことですね、尺八は虚無僧が吹いた事からはじまり、
心は禅に通じると、小川さんはいっている。

このように、科学者ではないが、
科学との関係性をもつ人の話も、
楽しく読ませてもらった。

同じく第2部に登場する西成活祐(東京大学教授)さん、
初めて耳にする学問「停滞学」というものをやっている。

面白いですね、自動車の停滞だけでなく、
人が引き起こす停滞、行列とか、
いろんな視点から考察しているところが、
素人の私にも、興味を抱かせた。

第三部「宇宙、地球、生命、人間」に、
登場する沖 大幹(東京大学生命技術研究所教授)は、
水の循環を扱う「水分学」・・ミズブンガク・・をやっておられる。

沖さんがいわれるのには、天文学と同じように昔からあったそうです。
私は初めて聞きましたね。

この中で、沖さんがこのようなことをいわれている。
深刻なのは、
水がなかったら生きていけないという生死にかかわる水ストレスですが、
それと文化的かつ健康に暮らすための水、
さらに農業や工業生産に必要な水というのが違います。・・本文より

水といってなにもかも、ひとくくりで議論するのは、
考えないといけないといわれる。

どうしても、
一つの側面だけで判断し、
問題視してしまいがちです。

なにより、登場する12人の人たちの、
物事に対する視点がユニークで、
考え方や、物の見方を通りいっぺんではいけない、
いろんな角度から見ようと、
そういう気づきを得る。

12人のひとたちは、常に何かに疑問を感じたり、
こういっているが、本当だろうか、
実証されているといえるだろうかとか
常に考えている。

そして、それぞれの研究テーマを長期にわたって、
追求し続けている、精神的なタフさも尊敬に値する。

世の中には、いろんな人がいて、
多様な考え方が存在する、
多様性の大切さを再確認した。

登場する12人のお話に、
いろんなヒントを見つけることが出来る。

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ボクらの時代 赤松良子×住田裕子×鈴木重子

2008/01/27 10:57
東大法学部卒の女性、
3人が、東大について、
自分の生き方について語る。

フジTV「ボクらの時代」に、
赤松良子(元文部大臣)
住田裕子(弁護士)
鈴木重子(ヴォーカリスト)
の3人の女性が登場した。

赤松良子は、元文部大臣にて、
男女雇用均等法の発案者。

住田裕子は、検事から弁護士に、
主に女性問題を中心に活躍中。

鈴木重子は、ジャズ・ヴォーカリスト、
日本人として、初めてニューヨークの「ブルーノート」に立った。

以上の3人の東大・法学部卒の女性たたちは、
現役時代、そこそこもてたらしい。

そこには、需要と供給のバランスがあった。
法学部といえば、圧倒的に男が多い。

女性は貴重な存在だったそうで、
大事にされたそうで、
鈴木の言葉を借りると、お姫さま状態だったそうだ。

かといって、いいことばかりでもなかったようです。

鈴木が合コンに参加して、
大学名を名乗り「東大」とわかると、
男達は引いてしまったという。

東大の女性のイメージは、
確かに勉強一途というのもあるが、
結構最近では、オシャレな人も多いのだそうだ。

何故、東大にこの人たちは入ったのか?

赤松は、時代感として女性は津田塾をでて、
英語の先生になるのがステータスであったが、
それに疑問を感じ、門戸を広く求め東大へいった。

住田は、女性も一生仕事を持つべきと考え、
当時女性に学問は不要という風潮の中、
大卒女子の就職難を乗り越えるために、
資格をとることを決意、司法試験に挑戦した。

鈴木は、元々は東京芸大志望であった。
ところが、成績が良すぎて何しろ偏差値が80だったそうで、
担任の先生から、周りから東大を勧められ入ったんだそうだ。

しかし、鈴木はいやいや入ったので、
ノイローゼになり辞めたかったが、
周りの支援で入ったので、
裏切る事は出来ず苦しんだという。

赤松も、住田もやはり、両親をはじめ周りの、
支援に感謝していると、異口同音に話した。

勉強の出来る人には、
その人なりの悩みがあるもので、
到底私には、縁のない悩みだが、
表面だけでは、人は判断できない。

ここで、住田がこういっている。
人生、一直線でなくていい。

そんな話の流れで、赤松が画家の黒田清輝の話をした。
黒田はもとから画家ではない。

フランスには、法律の勉強のために渡った。

しかし、黒田はフランスで絵の素晴らしさに魅了され、
絵の勉強をし、日本の洋画の先駆者となった。

結婚と仕事について、
住田は検事時代の同期の男性が、
今のご主人、家事も分担しながら、
これまでやってきたという。

人生、複線型もあり、二束のわらじを履いて、
チャレンジ精神を忘れずにと、
住田は女性たちにエールをおくる。

今や、女性が働くことは当たり前になっているが、
やはり、そう出来ている事に感謝しようと、
3人の女性たちは口を揃えていった。

鈴木の時代から、男女雇用均等法のおかげで、
女性の働ける場所がふえ、
女性初の防衛、警察のキャリアがでたと話す。

赤松は、女性がいろんなことをできる様になり、
女性として責任ある仕事をしようと提言する。

赤松の時代は、女性にとって仕事面では、
辛い時代を経験しているだけに重い言葉である。

女性に限らず、いろんな生き方があっていいと思う。
寄り道もOK,若いうちはとくにいろいろやるべき。

思いもよらない事が、仕事になったりもするし、
ギャップイヤーも悪くはないと思う。




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巨大高炉改修

2008/01/26 12:41
昨晩NHKで「かんさい特集・アンコ−ル 巨大高炉改修」が、
オンエアーされた。
初回放送分を見逃していたので、
しっかりと見ることにした。

先の阪神淡路大震災で、被災した神戸製鋼も、
今は、以前の勢いを取り戻し、
神戸に元気を与えている。

神戸製鋼所の心臓部ともいうべき第3高炉、
その高炉から生み出される鋼(はがね)は、
最高品質を誇り、世界の車の2台に一台が、
使っているという、世界に誇れるものです。

長年の使用により、高炉は疲弊し、
メンテナンスの必要に迫られていた。
しかし、その鋼を待っている世界中にいるユーザーに、
待ってもらえる時間は、48日間。

それは、神戸製鋼にある「鋼」の備蓄量が48日分に相当する。

限られた時間との闘いを、
全国から集められた1000名を超える、
匠たちの総合力でやり遂げたのである。

最も問題となったのが、
高炉にはつきものの「サラマンダー」と呼ばれる、
鉄の塊が予想以上に大きく工期を圧迫し、
ずれを引き起こした。

その「サラマンダー」を慎重に壊し、
無事とりのぞくと、亀裂が見つかり、
それを溶接し、何とか乗り切る。

関係者はいう、
震災から13年間、
この子(高炉のことをそう呼ぶ)は、
よくがんばってくれた。

次にまたクリアーしなければならないことがある。

高炉にとりつける「マンテル」とよばれる、
冷却板をはめ込む作業が待ち受けている。

それを取り付けるのに、世界最大の高さ7メートル、
世界に2台しかなく、操縦できる人は世界で4人しかいないという。

そのうちのひとりの人が挑んだ。

何しろ、工費を軽減するために、
まわりをこわさないために、
空きスペースが十分に取れない。

クレーンが180度旋回できない。

そんな、悪条件の中、
しかも上からの俯瞰した映像が頼り。

仲間の指示を受け、
280トンのマンテルを入れ込む。

すきまからわずかに、ずれたが無事入れ込まれた。
作業をおえるのに、3日を費やした。
マンテルを溶接した。

耐火煉瓦を敷き詰めてある壁が、
高温により溶けていた。

次に耐火レンガを積み上げる。
その数なんと、10万個である。

つなぎ目の誤差は、わずか2mm、
高炉の性能を左右するという。

そのために集められた匠は、
九州から東京から90人。

工期を短縮するために、
普通はやらない3分割で、
積み上げる事にした。

最後のつなぎ目も、うまくいき、
10万個のレンガが積み上げられた。
結果的に工期を大幅に短縮できた。

これからが、本番である。
初湯がでるまでが安心できない。

3000本の材木を徹夜でいれた。

12月16日工事が終わり、
いざ火入れが行われた。

高炉から勢いよく、
1500度の鉄が流れ出した。
満足のいくものであった。

誰が主役というのではない、
神戸製鋼の社員は勿論のこと、
全国から集まった1000名を超える匠たち、
それらの全ての力が結集したことによる。

一人一人の人たちが、
プライドをかけて、死に物狂いで挑戦した結果であった。

それこそ、そこに集まった人たちの魂が、
けっして大きくない第3高炉に、
宿っているといっても過言ではない。

今も日本人の誇りである世界最高品質の鋼は、
世界中を駆け巡っている。


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ガタ、ゴトという響きが

2008/01/25 10:26
今朝、起きると家内に、
「今日は資源ゴミの日よ」といわれ、
慌てて身支度をし、台車にダンボール、
新聞、アルミ缶を載せる。

ところがアクシデント発生。
ダンボールをくくっていた紐がゆるく、
バラバラになってしまい、
また、一枚、一枚拾い上げた。

毎月25日の朝方に回収される資源ゴミは、
私たちの地域の北須磨婦人会の人たちが、
ボランティア活動の一環として、
中心となりお世話をしています。

集積場所となっている、「お大師広場」には、
もうすでに多くの資源ゴミが持ち込まれている。

それらを回収業者に引き取ってもらい、
地域活動の原資として、活用しています。

「おはようございます」「ご苦労様です」と、
誰とはなしに、声をかけあう。

これぞ、コミュニケーションの原点。

普段、顔をあわしたことのない人にも、
自然と言葉をかけられる。
みんな心優しいひとたちです。

しかしそこに見られる光景は、
年齢を重ねた人が多く、
若いひとの姿を見かけない。

その若いひとたちも、やがては老いていくのに。

そんなことに関係なく、婦人会のひとたちは、
自ら台車を押しながら、商店街の店の前に出された、
資源ゴミを黙々と回収している。

上から、下から台車を押す音がする、
ガタ、ゴトという響きが、
冷え込んだ朝の商店街にひろがる。
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ウエブ時代をゆく 梅田望夫

2008/01/24 13:33
最初に梅田は、今の時代を、
「一身に二生」、福沢が江戸時代の半分と、
明治維新の時代を生き抜いてきたと同じように、
今の「ウエブ時代」に生きることに通じるという。

梅田の根底にある考え方は、
未来は能動的に変えるこののできるもの、
そのエネルギーはオプティミズム(楽天主義)が支えると、
明言している。

しかも、梅田がオプティミズムを貫くのは、
精神的な姿勢だけでなく、
「ネットが社会に多様な選択肢を増や方向の技術であること」・・本文より
その他、具体的に4項目を挙げている。

ウエブ上では、「オープンソース」という、
例えば、ウイッキペディアのような存在がある。

今は、オープンソースで生計を立てられないが、
それが可能な時代がくると、梅田は確信している。

この、オープンソースは、ほとんどが失敗しており、
では成功しているものは、どこが違うのか。

それを、梅田は、知人のシリコンバレー在住のハッカー、
石黒邦宏に答えを求めた。

答えはこうである、
「成功するかどうかは、人生をうずめている奴が一人いるかどうかですね・・本文より。

そういえば、プロフェッショナルに出ていた、
シリコンバレーで活躍している技術者・渡辺誠一郎が、
「シリコンバレーでは、マドルスルーしてきた人間が、
初めて認められる」と言ってた。

血反吐を吐くような思いをして、
這い上がってきた人は、
どの世界でも通用するということ。

「ウエブ時代をゆく」の中で、
将棋の羽生善治が、
「学習の高速道路と停滞」という考えかを提示し、
その後一回り若い棋士・遠山雄亮のブログ「ファニースペース 」で、
女流棋士里美初段のことについてさらに
学習の高速化が進んでいると指摘している。

島根にいる里美が、
実戦を経験する機会が少ないにも関わらず、
強くなっていったのは、
ネットで最新情報を得て、研究していたからである。

里美は、まさしくネットを使い、学習の高速道路を疾走してきた。
地方の、リアル世界の対戦の機会の少ないハンディを跳ね除け、
強くなってきた根拠の一つだと、書かれてある。

また、このようにも付け加えられている。

「時間だけが全ての人に平等に与えられたリソースである。
その時間を、自らの志向性と波長の合う領域に惜しみなくつぎ込む。

それが個を輝かせる。
大切な時間というリソースを自分らしくどう使うのか。
そこがますます問われる。・・本文より

学習の高速道路論については、
より深く言及されているので、
ここでは、これぐらいにしておきます。

中でノーベル賞学者・小柴昌俊の言葉が紹介されている。
「大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。
それが人生で一番大切なことです。

勿論簡単ではない。・・中略
良くないのは、見つける努力をしないでフワフワ生きていること。
それが一番困る」・・本文より

わたしも、若い頃は見つけられずフワフワしていた、
今ようやくこれかもしてれないというものに、
出合ったように思う。

随分と時間がかかってしまったが、
やれるだけのことは、やろうと思う。

探し続けよう、諦めない事です。

梅田もいっているように、
好きなことなら勉強もする、
茂木健一郎の「脳を活かす勉強法」でも、
好きなら勉強も苦にならないといっていたように。

ここに梅田が提唱する「ロールモデル思考法」を、
紹介しよう、何らかの刺激に繋がるでしょうから。

梅田のいう道標のない「けものみち」を生き抜いていくために。
好きをどう高めていくか、何を参考にすればよいのか、こうである。

「ロールモデル(お手本)を選び続ける。
たった一人の人物をロールモデルとして選び妄信するのではなく、
「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」、
「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、

人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、
自分と波長のあうロールモデルを丁寧に収集することである。・・本文より

ネットの本質について、興味深い考えを見つけた。
「知恵を預けると利子をつけた返してくれる銀行」、
これは(株)はてな創業者・近藤淳也の口癖と書かれてある。

わかるような気がする。
ネットの向こう側には、無限大に広がる世界がある。

梅田と茂木健一郎との共著「ヒューチャリスト宣言」より、
茂木健一郎の言葉。
「史上名をなした文化人って、
いまからみると定まった姿を見せているんだけれど、
同時代的に見ると大変な毀誉褒貶(きよほうへん)のなかにいたわけですよね。

そのような波乱の中で闘うことで、人間として成長した。
ネットというものを使うと、
昔なら一部の公人しか与えられなかった試練にさらされ、
成長することができる」、と書かれてある。

毀誉褒貶(きよほうへん)とは、ほめたりけなしたりすること。

ネットで情報を得て、
リアル世界では本を読むことで教養を高める、
これも、大事なことではないでしょうか。

本書を読むことで、いろんな気付きを得ることでしょう。
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コンピューター占いしてきました

2008/01/23 13:42
今週の20,21日の二日間、
今年最初の「お大師さん」「初弘法」、
天気は非常に不安定であったが、
多くのお参りが、ここ須磨寺にはあった。

その二日間は、露店が並び、
お寺の行き返りに、お気に入りを見つけ、
買い物をして帰るのも、楽しみの一つ。

参道筋にコンピューター占いの露店がでており、
結構利用している人もいるようだ。

黄色い紙に、手相がコピーされ、
それを読みながら、帰る人の姿が、
店からよく見る。

21日、私の大親友S君(今月で5歳になった。)が、
お母さんと弊店にやって来た。

S君は、例の黄色い紙を握り締めていた。

「コンピューター占いしてきました」と、
S君のお母さんがいった。

占い結果を見せてもらい、
私も家内も、そしてS君のお母さんも大笑い。

「あなたの性格」
わがままで自分本位、
「そうそう、当たっている」

「将来運」
スポーツ分野に活路を見いだせそう、
運動以外だと記者とかレポーター、
海外にいくこともよし。

「アドバイス」
忍耐力と我慢する気持ちを持続する事。
これって、私にも当てはまると納得。

こんなことが、書かれてあった。
当然、5さいのS君に自己分析なんかできるわけがない。

なにをもって、大人が笑っているのか、
不思議なようで、S君はやや不機嫌であった。

「海外にいくといいらしいよ」と、
S君のお母さんが話しを振り、
「どこへ行きたい?」と、
お母さんが質問した。

答えは、「須磨海岸」であった。
その答えにお母さんは、がっかり。

「あんまりきれいじゃないけどね」と、
S君は付け加えた。

S君にとっては、「須磨海岸」が海外なんだ。
海外の意味がわかっているかどうかは、
判断できないが、ぼやっとはわかっているようだ。

S君の脳に、須磨海岸が写ったのであろう。
大人の常識と違う、奇想天外な答えに、
大人は驚かされる。

それが、いつのまにか常識に捉われ、
画一的な人間になってしまう。

その時に、情熱大陸で見た、
理論天文学者の小久保さんのことを思い出した。

「S君、宇宙と海ならどっちがいい?」と、
私が質問した。

「宇宙って?お星さんのこと」と、
S君が私に尋ねてきた。

「おお、わかっているな、お主」と、
私は心のなかで叫んだ。

「そうだよ」と私が言うと、
「昔恐竜がいたんだよ、地球に」と、
得意げに天文学者S君が答えた。

彼は天才かもしれない?
絵の分野でも、
自然科学の分野でも、
ピカソの再来に加えて、
ガリレオの再来もプラスしておこう。

また、とんでもないことをいって、
私を驚かせてほしい。

もう、そんな発想は、
私には、生まれてこないから。
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デザイン・アディクト2 ニッポンの新鋭建築家20人+α

2008/01/22 09:35
デザイン・アディクト 2という、耳慣れない建築関係の本で、
21世紀のボーダレスな世界を生きる、
ニッポンの新鋭建築家20人についての話と、
藤森照信×茂木健一郎の対談があり、
集中力をもって読んだ。

藤森さんは、建築史家、建築家として、
注目を集めており、
以前より私も興味を抱いている一人である。

かねてより、茂木さんの「クオリア日記」とか、
養老さんの話にも登場していたこともあって、
どういうことを話されているのかを知りたかった。

21世紀の建築について、お二人が語られている。

藤森さんは、45歳から設計を始めた。
建築の歴史を専門に学究され、
そのことには、大変努力を重ねられた。

しかし、建築は好きで始めたので、
自由に発想し、しがらみとか概念にとらわれない、
独自の思想を貫いている。

藤森さんの建てた「高過庵」、
藤森の生家がある、茅野にたっている茶室。
 空に向っている建物は、木で持ち上げられている、
しかも登るための階段は、
普段は設置されていないそうである。

それをみて、あの利休を超えたと、
茂木さんは、ユーモアたっぷりにいう。

利休の建てた茶室は、
そこに入るのに、
時の権力者である秀吉ですら、
武士の魂である刀を預けて入室した。

権力者への、利休の挑戦である。

利休について、藤森さんは、
興味深いことをいっておられる。

ヨーロッパには、ピラミッドがあり、ダビンチがあり、
それらに対抗できるとしたら、
切り札としては、もう利休しかいないだろうと、
建築家の原広司さんの言葉を引用していた。

日本の建築家にとって、最後のよりどころだと。

藤森さんの建築は、
自覚としては、どのような建物にも似ては、
いけないと思ってやっているのだそうです。

こうも言っている。
僕の中には素人性とオーソドックスな建築の規範性の両方が、
あるんだと思います。・・本文より

茂木さんが、藤森さんについてこんな風に語っている。
藤森さんは、まさに脈絡なく出てきて、みんながびっくりする。・・中略
身体性を他人に受け渡さずに温存していた。・・本文より

藤森さんにとって、建築の歴史をやっていたことが、
大きな支えとなっている。

理論的には強いので、何を言われても反発できる、
だから目に見えるものから出発しない、
具象的なものを土俗的に作っているのでもなく、
その中間あたりの感覚。

それを明け渡さなくてすんだのだろうと。

藤森さんが建築を作るときに、意識していること、
それは、20世紀の現代建築が触れてこなかった部分を、
寄せ集めて建築を作っているといわれる。

人間の顔に切れ目がにないように、
建築には、必ず切れ目がある、、目地という。
例えば泥で作った建築には、目地がない。

究極の建築とはそういうものじゃないかと思っています。・・本文より

デザイン・アディクト 2に登場する20人の新鋭建築家の中で、
私の知っている建築家が二人いました。

一人は、情熱大陸に出ていた中村拓志、
中村は一時期、隈研吾の設計事務所にいた。
比較的メジャーな存在である。

そして、もう一人はプロフェッショナル、
キューレーター長谷川(東京都立現代美術館)で、
ビルをヘリュームガスで浮かすことを提案した、
石上純也。

石上がプロフェッショナルに出て、
建築家がなんで現代アートなんだろうと、
その時は大変不思議に感じていた。

それが、ボーダレスなんだと、
今回デザイン・アディクト 2を読んで理解できた。

その石上も、軸足はあくまでも建築にあると明言している。

それと、興味深かったのが最近注目される新鋭の建築家の多くが、
東京芸大の建築科を出ているということ。

その秘密を、東京芸大の教授・六角鬼丈さんは、
理工系建築学科はまっすぐに上がって行く「鉄砲階段」、
学ぶ事が最初から決まっている、
一方芸大は「螺旋階段」、
まわりを見ながら登るので、
許容範囲が広がり、今まで見えなかったものが見えてくるという。

このように、本文の中で述べている。

理系と文系の垣根を越えた学部が、
新たに著名な大学で新設されている。
21世紀に対応するために、大学もボーダレスの時代である。

建築の本ということで敷居が高いと思って躊躇していたが、
読み終えて語られていることが、
建築家一人、一人の人生観とか哲学が垣間見れ、
建築に関して、門外漢の私にも、大いに刺激を与えた。

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理論天文学者 小久保英一郎

2008/01/21 10:14
果てしない宇宙へのあくなき探求、
望遠鏡の代わりに、
スーパーコンピューターを駆使、
惑星の研究にあたる、若い科学者が熱く語る。

情熱大陸に登場した、
理論天文学者 小久保英一郎(39)は、
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、
主な研究分野は惑星系形成論。

理論天文学で、今世界的に注目を集め、
科学者達に大きな影響を与えている。

小久保のやっている天文学は、
我々が一般的に知っている望遠鏡の世界ではなく、
スーパーコンピューターを使い、
独自でプログラムを開発し、シュミレーションによって、
惑星の研究をしている。

小久保のスパコンは、
世界最速といわれる、グレープと呼ばれるもの。

小久保が世界をあっといわせたのは、
オリガーモク・グロース(寡占的成長)という理論、
微惑星がどのように、惑星になっていくかを理論づけたもの。

小久保は、現在東京・三鷹の「国立天文台」で、
毎日の研究に勤しんでいる。

もとから、天文学をめざしていたのではない。
小久保は、大学の海洋部に所属していたが、
ふとしたきっかけで、スーパーコンピューターに、
魅せられ進むべき方向を変えた。

小久保はいつも知的探求の旅をしているという。

太陽系の形成過程も、
46億年前、ガスと塵のあつまりだったものが、
徐々に惑星になっていったという。

地球も、微惑星の状態から、10分の1のところで、
一時その大きさがとまり、
数十万年かけて大きな衝突をくりかえし、
大きくなり現在に至るという。

宇宙で繰り返されるドラマを計算で解きあかそうと、
小久保は日夜スパコンに対峙している。

中でも、興味深かったのは、月がいかに地球との関わりが、
強く、深いかにあった。

地球の地軸をぶれないように、
力をあたえているのが月なんだそうだ。
それによって、季節の変化も生まれているという。

地球の自転の速度も、月の力で遅くしている。
以前は早かったそうだ。

そして、よく知られている人の生命にも、
月の満ち引きが関係しているといわれたりする。

スパコン相手に計算の毎日、
無機質な生活から、
時には天文台に出かけ、
望遠鏡を見て、一般の人の宇宙に対する感覚を感じるという。
それが、小久保のやる気に繋がっているのだ。

小久保がごく普通の感覚を大切にしている点は、
素直に尊敬に値する。

もう一つ、小久保は別のフィールドを持っている。
「ダイビング」、師と仰ぐ大先輩と一緒にもぐる。

須賀次郎というカメラマンと一緒に。
須賀はいう、「プロフェッショナルとは、それがなきゃ生きていけない」、
これは、お笑いの中で松本人志のことを茂木健一郎さんが、
同じように評していたのを、思い出した。

小久保の基本的な考えは、
奇跡は必要じゃない、
自分達がすんでいるだから、
生物が他の惑星に住んでいてもおかしくないという、
スタンスをとっている。

小久保にとって、宇宙は常に頭の中にある。
又、新たな地響きを起こすような理論の発見を、
求めて日々研究に没頭する。

小久保は決して自分を見失う事なく、
少年の心を持ち続け、
また、世界の科学者をあっと言わせるかもしれない。

小久保はいう、
こんな研究をしても特に、
生活の役にたつ分けでもないが、
好きだから勉強しているという。

スチュディオスな世界をしっかりと持っている。

自然科学は、あまり素直に、
人々に受け入れているとはいえないと、
私は思う。

自然科学に少しでも、関心が向けばいいですね。
経済一辺倒では、生きていけない、
感動するものがない。

久しぶりに、興奮を覚える時間を過ごせた。










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ボクらの時代 風間杜夫×平田満×根岸季衣

2008/01/20 16:25
「蒲田行進曲」という映画に、
出演した3人の俳優が、
それぞれの思いを語り合う。

フジTV「ボクらの時代」
風間杜夫、
平田満、
根岸季衣 、が出演した。

つかこうへい事務所に所属し、
深作監督の「蒲田行進曲」で、
3人は、出会った。

その当時を振り返って、
風間は、20代後半から30代前半の、
遅れてきた青春時代であり、熱く燃えていた。

平田満は、その後の人生が決まったという、
決めた人が、つか こうへい、その人である。

根岸季衣は、映画に出演したことは、宝とまでいう。
同じ仕事をした、仲間は素敵であったと。

しかし、蒲田行進曲が大ヒットした後、
昭和57年「つか こうへい事務所」は、
解散することになった。

それは、突然のことであった。

風間は、そのことにショックを受け、
年に一本の映画をとる場所がなくなったと、残念がった。

根岸には、正式通達がなく、
ただ事務所が解散するというだけ、
ちょうど子育てに忙しい時期だった。

平田にとって、つか こうへい、とは19才に出会い、
29才までの、中味の濃い10年間だと振り返る。

つか こうへい、が出てきた時代は、
アングラの赤テント、黒テントのあとの時代にあたるという。

平田も、根岸も、蒲田以降、
芝居がメジャーになったと、感じたそうだ。

彼らにも、時代にもそれだけ「蒲田」は、
インパクトを与えたといえよう。

つか こうへい、との出会いによって、
風間は、それまで人見知りだったが、
自信がつくことによって、全部自分をだせるようになった。

もし、蒲田行進曲がヒットしていなかったら?

蒲田行進曲は京都・東映の撮影所で撮影され、
松竹系の配給であった。

東映の大部屋の俳優達と、
立ち回りをし、いろいろとチェックをうけ、
プレッシャーを感じていたという。

大部屋の俳優達に、風間たちは、
学芸会のようだと、揶揄されていた。

ヒットしたお蔭で、その後東映の大部屋俳優達にも、
顔向けができるようになっと、風間も平田もしみじみ語った。

それぞれ、3人は役者志望だったのか?

風間は、児童劇団出身、
役者になることを、決めていた。

根岸はというと、幼稚園のころから、
役者になりたかったそうで、
思いがかなったわけです。

平田は、たまたま入った演劇サークルが、
居心地が良かったから。
楽しそうだったし、
酒は飲めたしと、いたって単純な理由だった。

その後の、「つか」との出会いで、
芝居の世界に引きこまれたという。

芝居はみんな好きなんだろうか?

平田は、好きとはいえないという,責任もあるし。
根岸は、幕が開くと嫌になっていた。

歌をうたうことになり、アマとプロの差を味わったという。
歌手の人は、3分間で思いっきり表現するから。

風間が落語家の役をすることになり、
とまだったことがあるという。

客席の明るさである。
寄席は明るく、自分達の芝居は客席が暗い。

自分で物語っていく、落語。
音楽と共通すると感じた。

根岸はバンド活動のおもしろさを、
手作り感にあるという。

平田は、芝居の制作をやってみて、
作り手の難しさを体感する。

老いの理想形は?
風間は、セリフが覚えられなくなったら、
役者をやめるのだそうだ。

根岸は、役者はリタイヤーが決まってないからいいという。
それは、自分で決めるものだからだろう。

風間が冗談で、平田にこういった。
「笠智衆なきあとの、
老人役が出来るじゃないか」といった。

すかさず、平田は、
「ふけ役は、上に先輩が一杯いますし」と、返した。

どうやら、3人ともまだまだ現役でがんばりそうである。
いろいろいっているが、芝居が好きなんだと、
体からビームが、飛び出ている。

年齢、気にしない、風間はそういう。
そう、そう自分からふけることは、
しないほうがいいと、私も思う。

死については、
風間は生前葬をやり、
香典でどんちゃん騒ぎをやりたいそうだ。
平田は、ひっそりと死にたいという。
根岸は、現場にしがみついていたいと、三者三様。

蒲田行進曲の成功体験により、
それぞれ、道が開け、
いい年の重ね方をしてきた。

どう、生きてきたかがよくわかる。




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身近に植物園があった

2008/01/19 12:50
私が、癒しを求めて必ずチェックするブログ「フクヘン」、
雑誌ブルータスの副編集長の鈴木芳雄さんが書かれている、
そこに、BRUTUS 2月号の案内があり、購入し読んだら、
「植物園」を取り上げており、すっかり魅せられてしまった。

そういえば、動物園の話題は、
よくTVでも取り上げられるが、
植物園というと、それほど関心を持たなかった。

植物園の歴史は、紀元前数千年前の、
エジプト、メソポタミア地方に遡るという。
その後のペルシャ帝国の王たちが、高い壁で周囲を囲み、
水路に区切られた敷地に果樹の蔭が落ちる「ハイリー・ダエーザ」(壁で囲まれた園)に、憩いを求めたと、ブルータスに記事が掲載されていた。

日本国内の植物園、公園として、
10カ所紹介されており、
改めてみると、こんなすばらしいところがあったのかと、
関心しきりである。

植物園としての意識はなかったが、
私の住まいする、神戸の須磨には、
「武庫離宮」と呼ばれる大正天皇ゆかりの
神戸市立須磨離宮公園があり、
そこの庭園では、四季折々の植物を求めて、
多くの人たちが、訪れる。

そうだ、身近に植物園があった。

特に「ローズ・ガーデン」は有名です。

ゆっくり時間を気にせず歩き、
木々に囲まれ、花を愛でるのも、
一興です。

そこには、普段の生活の喧騒から隔離された、
癒しの空間があり、
カメラ片手に、あるいはスケッチを楽しみ、
そして何も考えずにただ眺めるもよし。

脳のクールダウンにはもってこいでしょう。

結構楽しめるところなんだと、
春になったら、また行ってみよう。

このブルータス2月号で茂木健一郎さんが、
「リゾートの未来は植物園を目指す」という記事を書いている。

リゾートは、植物的なタイムスケールに身を浸し、
自らのセコイアの樹のようなものを育て、
甦らせる場所。

ネットの海では、自分の中の植物を育てる事はできません。
・・ブルータス本文より

ブルータス2月号には、
これも植物園なのかと、
気づきをさせられた、
皿の上の植物園、
「ガウグイユ」が紹介されている。

フランスの三ツ星シェフのミッシェル・ブラスが、
織り成す世界。

彼は、「植物を愛するは、人を愛することと同じ」という。

白い皿の上に盛り付けられた野菜の、
自然が与えた色取りの美しさは、
まさにアートの世界、
美しいものを見るのは、
本当に気持ちのいいものです。

これとは、対照的に12月6日の八寸が紹介されている。

黒塗りのお盆を皿に見立てた、
静のイメージが色濃く伝わる、
和のテイストがほっとした気分にさせてくれる。

これは、必見です。

あと、海外の植物園も紹介され、
見ているだけで、旅行した気分が味わえる。

こんなに楽しませてもらったのは、久しぶりです。

ブルータスという雑誌をよく知らなかった家内が、
「てっきり女の人の雑誌かと思った」と、
「あまりにも綺麗なので」と感想をもらした。

ブルータスという雑誌、
なかなかダイナミックレンジ。
いい振れ幅を持っている。 

終わりに近いページで、
すばらしい表現に出あった。

アルベルト・ムナリーという人の言葉。
アーティスト、デザイナー、
教育者と多彩な顔を持つブルーノ・ムナーリの息子で、
心理学者と、ブルータスで紹介されている。

こども達にワークショップを通じて、
アートを体験させているようです。

それらを通じて、アルベルト・ムナリーは、
こう言っている。

「こどものほうがクリエイティブというわけではなく、
単に子供のほうが自由なだけなんだ。

だから自由さを失った大人は驚かされる」

そう、その通りと納得した。 

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セブンアンドワイ                                                                                                                                                                                                                                   



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「それでも脳はたくらむ」 茂木健一郎

2008/01/18 15:08
最近続けさまに茂木さんの本を読んでいる。
何かに渇望しているかのように、
読み終えると、そのたびごとに何かが残っている。

「それでも脳はたくらむ」 茂木健一郎、
読売ウイクリーに掲載されている、
茂木さんの連載「脳から始まる」を、
ベースにまとめられたものである。

私は、ちょくちょく「読売ウイクリー」で、
茂木さんの連載を読んでいる。

改めて本になって読んでみると、
また違った面に気づきを得るものですね。

わたしなりに、印象的だったところを書いてみたいと思います。

脳学事始vol・1より
美術作家・村上隆さんの東京芸大・大学院の博士論文のタイトル「意味の無意味」、
まさに、「意味」の根底には無意味の暗躍が広がっている。
その事に気付くだけで、生きることの味わいは格段に深まる。

謎あってこそ輝く命。
人生の意味など「わかってしまった」と思い込むのはもったいない。・・本文参照

ここで、私はぐっと気持ちを掴まれた。

「羽生将棋」は失敗学で出来ている・・
歴史を忘れるものは、また同じ失敗を繰り返す。
将棋の世界で堂々と積み上げられてきた「失敗から学ぶ」文化を、
私たちも見習う必要がありそうだ。・・中略

まずは、過去を振り返ることを忘れないことから始めたらどうだろうか。

失敗した苦い経験を、忘れてしまい封印してしまわずに、
過去を直視しよう、そうすれば大きな学びに繋がると書かれてある。

脱大学からはじまる「学問のすすめ」・・
福沢諭吉の「学問のすすめ」に書かれてある、
有名な一説、「天は人の上に人を造らず人の下に造らずと言えり」から、

学問は、人を区別するためにあるのではない。
蒙(もう)を啓(ひらき)、社会を万人に広く開かれた場所にするためにこそ存在するのである。
・・本文より

確かに、同感である。

脳学事始vol・6・・普遍性と仲良くしよう・・
人間は確かに感動する事によって人格が変わる。
・・中略
ニュートンと出会い、「科学の普遍性」というものを理解して、私は変わった。
それ以上凄みのあることは、この世の中にないと思った。
だからこそ、今ここにこうしている。
・・中略
普遍性を志向することが、あたかも一部の人にだけ通じる特別なことのように感じてしまうのは、現代の日本人の欠点である。私たちは、もっと普遍性と仲良くした方が良い。・・ほんぶんより。

目下ハングルでうひ山ぶみ中・・より
江戸時代の国学者本居宣長が学問の心得を記した「うひ山ぶみ」の中には、
「いかならむ うひ山ぶみの あさごろも 浅き裾野の しるべかりかも」という、
有名な和歌がある。

「うひ山ぶみ(初山踏み)とは、修行のために初めて山に入ることを指す。
「どうであろうか、初山踏みをする人が身につける麻の衣のように、
この本が、学問を始める人が歩く裾野の、道しるべになってくれればいいのだけれども」、
というような意味である。・・本文より

私は、「それでも脳はたくらむ」を読み終え、
「学びの道しるべ」になると確信した。

私には、まだまだ多くの心に残った言葉に出会いました。
全部をここに書ききれません。

最後に、茂木さんが師匠と仰ぎ、尊敬する先輩の一人といわれる、
解剖学者の養老孟司さんのよくいわれる言葉。
「そするほうが脳にとってラクなんでしょ」より、

養老先生のおっしゃる「脳がラクをしている」というのは、
いわば、脳が「一時休め」をしている状態である。決して「ラクである」ことが、
生きるう上で良いとは限らない。

養老先生ご自身は、脳はできるだけラクにならないように、
難しいことを考えたり、好きな虫取りに精をだしたりしている。

養老先生を尊敬する私としては、やはり、そう簡単にはラクをしない人生を歩みたいものである。・・本文より

今年から、私にとって人生の分岐点になる責任を負う立場を担う。
こころして、前向きに進んでいこうと思う。


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暗闇の世界

2008/01/17 13:36
「ゴー」、「ドスン、ドスン」、「ガタガタ」、
音の連鎖があったが、何が起きたのかわからない。
下からつきあげられ、縦横の揺れ、
私は思わず、布団をかぶった。
大変なことが、起きている、
それがわかり、「ええ、地震か」と気がつくのに秒間の差があった。
そして、目に入ったのは暗闇の世界であった。

あれから、今日で丸13年、「阪神淡路大震災」が起こり、
時間は容赦なく過ぎてきた。

私自身も、店も被災し、
肋骨をおり、約1ヶ月入院。

住居兼店舗の私の家を、
兄弟、親戚にも手伝ってもらい、
瓦礫を片付けてもらい、
ようやく家に住めるようになった。

あらゆる、局面で状況が一変した。

予期せぬ出来事とは、まさしくこのことをいうのである。

あの日から平常に戻るのに、
随分と時間がかかった。

あの当時、私は、
何かを食べると、すぐに下痢をしていた。
食することに、不安を感じていた。

当然、体重はがた減り、
いろいろ検査をしたが、
内科的には、問題はなかった。

鬱の状態だった。

あるとき、店で立っていられなくなり、
うずくまってしまったことがあり、
家内にも、随分と苦労をかけた。

今は、家も修復し、
あんな悲惨な事にあったとは思えない、
新たな顔の店になっている。

確かに、13年がたちインフラは整備され、
街並みも美しくはなった。

しかし、以前の面影は見られず、
耐震を意識した画一的な建物に変わり、
妙に部分的に、整備された場所が出現する。

車をよせつけない、
路地では、フェンスにかこまれた空き地が、
今だに、残っている。

主のいない、空虚なスペース。

こんな、ことが起きるはずがないと、
まして自分たちの住んでいる神戸で、
地震にあうなんて、誰も思っていなかった。

しかし、無残にも現実となった。

いつ、どこで、誰に、
予測はいろいろかたられているが、
わからないものです。

備えあれば憂いなし、
気が付いた時に、
身辺を見渡してみてください。

避難場所の確保、
避難路の確認等々。

今日の正午12時に、
私たちの須磨寺前商店街では、
先の神戸・淡路大震災で亡くなられた方々の、
冥福を祈って黙祷をささげた。

私たち商店街の仲間も、あの日一人亡くなっております。

黙祷を終え、外にでてみると、
朝からの冷え込みで、
めずらしく神戸にも瞬時、雪が降った。

1月17日という日が、
これからも、毎年訪れる。

風化させてはいけない!

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妥協なき日々に、美は宿る 歌舞伎役者・坂東玉三郎

2008/01/16 10:42
奇跡の女形と呼ばれ、
それ以上に見る人を魅了し、
あくまでも、「美」を追求しつづける、
一人の歌舞伎役者の姿を追った。

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に、
歌舞伎役者・坂東玉三郎が登場した。

綺麗というより、美しいと表現すべきであろう。
綺麗は相対的、美しいとは絶対的なものと、
確か、以前岡本太郎がいっていたように。

玉三郎は、開演の一時間半前に、
家を出て、歌舞伎座に向う。
このような生活をもう50年重ねている。

楽屋に入り、化粧をする。
自分を客観的に見て、
観客の目線を意識し、
女形へと変身していく。

普通なら気づかない、
耳にも紅をさす。

それは、見に来てくれる人たちを、
夢の世界へ、いざなうために。

歌舞伎を演じるうえで重要な要素として型があるが、
その型について、玉三郎は型が正しいだけでなく、
それでは、人を感動できないという。

型に命を吹き込む、玉三郎の流儀である。

玉三郎の女形の美を支えているものは、
女形をやるには高すぎる身長、
そして幼い頃の小児マヒによる右足のハンデを、
跳ねのけたところにある。

玉三郎は常に明日ということにこだわる、
遠い未来ではなく、すぐ来る明日。

遠くを見ない、明日だけを見る。
そう思いながら30年が過ぎたが、
玉三郎にとっては、毎日の積み重ね、
30年という感覚がない。

役者には、精神的な保証はない、
突然やってくるかもしれない終焉、
だから、明日できることをする。

常に玉三郎はギリギリのところに、
立って「美」を追求している。

そのために、公演が終わるとすぐに、
家に戻り、体のケアーにあたる。

また、明日見に来てくれる人のためにも、
一日でも長く、舞台にたてるように。

玉三郎がそう考えるようになったのも、
19歳で大役を得てから20代は忙しさに紛れ、
ただ、突っ走っていた。

24歳の時、突然たおれた。
心がおれたようだったと、
玉三郎は表現する。

そこに、玉三郎は何かを失いかけていた。
自分という存在を。

鬱になっていて、体重も減り立っているのが、
やっとであった。

もう踊れなくなるかもしれない、
どうなってしまうのだろうかと、
思い悩んだ。

若い時から、そう思っていた、
自分の体をよく知っているから。

30代に新劇に活路を求め、
映画監督もやった。

でも、玉三郎のこだわりは、
「踊り」にある。

出きるだけ長く踊りたいという玉三郎の気持ちが、
体のケアーに向わせる。

不安がある意味、玉三郎にとって、
支えの部分をなしている。

無事舞台を勤めることに、
集中するのである。

役者の華について、玉三郎が考えを語った。

努力は勿論のこと、よく生きていないとだめ、
生き様がでるという。

天から見られている、
うそをつけない、ごまかせない、
技術のなさもそのままに、
だから、真面目にやるんだと玉三郎はいう。

玉三郎は新たな境地へ挑戦した。
自らも踊り、演出もする。

演目、「信濃路紅葉 鬼揃」。

片岡仁左衛門、市川海老蔵、そして若手の歌舞伎役者と供に。

新たな試みとして、能の動きを取り入れた踊りに挑戦する。
静の動きで観客をつかめるか、玉三郎の不安がのぞく。

連日の稽古でも、納得のいくところまでいかない。
玉三郎は賭けにでた。

最後の通し稽古で、化粧をせずに望んだ。
より客観的に自分達を見るために。

見せ場である片岡とのシーンでは、
自分の演じ方で、片岡の演じやすいように、
熟慮し、演技を伝播する。

無事、初日を向え、
不安は払拭された。

それでも、初日の打ち上げにはでず、
家路へと、明日また踊るために。

玉三郎の求めている究極の美とは、
無意識の美であるという。
何気ない美しさに心ひかれる。

それは、地方公演で立ち寄った、
海辺で見た、自然に感じた。

以前、オーケストラの指揮者の理想像について、
指揮者の大野さんが、ただ立っているだけ、
何もしなくても演奏が出来ている、
そんな状態だといった。

そのことを、玉三郎の言葉の中に見出した。




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満点フクロウ

2008/01/15 10:37
チャンネルをさわり、何かこれといった番組がないかなと、
たまたまあわせたチャンネルが、
「あらすじで読む世界名作劇場」、
何の番組かわからず、
気づいたのはしばらくたってから。

昨晩、日テレでやっていた「あらすじで読む世界名作劇場」、
画面に映ったのは、芸人・麒麟・田村、
そのあと、茂木さんの顔がアップで、
ああ、これか「クオリア日記」に書いてあったのは。

既に、話は進んでいた。
田村の「ホームレス中学生」を、
自らプレゼンしていた。

「小公女」と対比しながら。
なつかしい、「小公女」の内容は忘れたが、
かすかに読んだ記憶がよみがえった。

私がヒートアップしたのが、
ピン芸人の にしおか・すみこ が出てきて、
森鴎外の「舞踏会」のプレゼンを始めた時。

なんで、私は興奮を覚えているんだろう?
なんで、こんなにうれしいんだろう?
やけに、楽しくなってきた。

昨年読んで、特に印象に残っている作品の一つだったから。

その時の、記憶がめくるめくるよみがえった。
番組の進行をみながら、「そうそう」「ふん、ふん」と、
聞かれてもいないのに、独り言を言っていた。

懐かしいひとに、再会したかのような、
いい心地を味わった。

本を読んでいてよかったと、素直に喜べた。

勝俣州和の「シンデレラ物語」は、
河合隼雄さんの「昔話の深層」という本で、
グリム童話について書かれていたのを思い出した。

日本の昔話は、
比較的優しい親子関係が描かれていたりするが、
グリム童話にでてくる話は、
結構残酷な人間関係が描かれていると、
河合さんが、書かれていた。

そんなことを思い出しながら、
話を聞いていたら、
「なるほど」と頷ける点があった。

ケンドー・コバヤシの「カラマーゾフの兄弟」は、
まさしく今手元に本があり、
そろそろ読もうとしていたところ。
これからが、楽しみである。

サガンの「悲しみよ今日は」に至っては、
若い頃、新入社員ではいってきた女の子で、
「サガン」の大ファンの子がいたことを思い出した。

青春プレイバックである。

どんな動機付けであろうと、
きっかけがなんであろうと、
読書はしっかり心に何かを残してくれる。

私は至って遅読派の人間である。
自分のペースで気楽に読む、
例え理解に苦しもうとも、
読んでしまう。

理解できないこともあると、
改めて気づき、
ふとしたことで解かったりするものです。

今年も、自分の歩みで本を読もう、
そう心に誓った。

まさしく、昨日の「あらすじで読む世界名作劇場」は、
「満点フクロウ」の内容だった。
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好奇心を失わないこと

2008/01/14 11:42
今年も大本山須磨寺・貫主より、
丁重なる年賀状を頂き、
そこに書かれた四文字熟語が、
達筆ゆえに判読できず、
お会いする機会があったので尋ねる事にした。

貫主は、気軽に読みと意味を教えてくださった。
家に帰り反復しようとしたが、
メモをしていなかたので、
出来ないでいた。

仕方なく覚えていた下2文字「三宝」を頼りに、
グーグル検索した。

キーワードは「仏教用語」「四文字熟語」、
そしてかすかな手がかり、
「〜三宝」。

いろいろ試すが、答えに到達しない。

「〜三宝」では、幾つか検索できたが、
どうも年賀状の字と結びつかない。

いまだ正確な読みと、
意味はわからないままである。

また今度お会いした時に、
恥をしのんでメモってこよう。

そんなことを思い出したのも、
今朝の産経新聞を読んでの事。

「新・国語断想」という記事で、
塩原経央さんが書かれたものに、
こんなグーグル検索の活用があるのかと知ったからです。

地震や災害が「起きる」と、表現すべきがか「起こる」と、
すべきかについて考察されていた。

その中で、グーグル検索で地震、起きると、起こるを、
それぞれ検索した結果、
「起きる」が59万8000、「起こる」が52万とかかれてあった。
(検索日平成20年1月8日の調べとある)

どちらが、一般的に使われているかを、
検証するために、グーグルを使ったのだ。

それ以外にも、連用形の「起きて」「起こって」、
過去形「起きた」「起こった」も、
検索していた。

結論的には、どちらがどうともいえないとしている。
ちなみに、塩原さんは「起こる」説を採っている。

その理由は、別として、
何かを「知ろう」「知りたい」という気持ちがあれば、
多くの情報や知識がグーグルによって得られる。

キーワードの組み合わせかたによって、
かなりの事が分かるようになっている。

まだまだ、私のグーグル検索レベルは、
初期段階、よくいえば発展途上にある。

知の世界は広大で、
手に入れようとすれば、
いくらでも手にすることが出来る。

それには、
好奇心を失わないこと。

そんなことを考えながら店にでていると、
「今日は成人式やで、
いかなあかんで」と、幼馴染が冗談を飛ばす。

成人×3+1=?、
今月私は誕生日を迎える。

これからも、検索レベルを上げるように、
努力していこう。

脳はオープンエンド、
今年は、グーグル検索をステップアップしよう。

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ボクらの時代 東国原英夫×橋本大二郎×嘉田由紀子

2008/01/13 12:17
現職知事二人、
元知事が一人、
地方行政について、ざっくばらんに語った。

フジTV「ボクらの時代」、
東国原英夫・・宮崎県知事
橋本大二郎・・元高知県知事
嘉田由紀子・・滋賀県知事
以上の3名の方の、本音トーク。

東国原英夫は、元タケシ軍団、
今は、地方自治の救世主として、
全国自治体の熱い視線を一身に集めている。

宮崎県の知名度が兎に角低く、
宮城県と間違えられたという。

官製談合で、県民が疲弊していた、
「どげんとせんといかん」と、
立ち上がったという。

橋本大二郎は、4期16年高知県知事を務めた。
元NHKの放送記者からの転身、
高校時代の友達が、高知にいたから、
知事にかつぎだされたと冗談まじりにいう。

よく、記者あがりに何ができるとよく言われたという。
地方自治の構造改革の先駆者として評価は高い。

嘉田由紀子は、大学教授から地方自治の首長に。
滋賀県の認知度が低い、自分の県にプライドをもてるように、
いつまでも京都の近くといわずに、胸はって滋賀といえるように、
立ち上がった。

しかし、同じ学者仲間は一人も応援してくれなかった。
彼らは、所詮体制側の人間、
改革は望んでいないという。

全国知事会に出席しての感想は?
知事というのは、どんな人たち?
という橋本の質問に、

東国原英夫は、手短に喋ろうとするTV出身者の性が出てしまい、
軽く考えすぎだと、クレームがついたらしい。

嘉田由紀子は、県知事は官僚出身か県庁関係の人が、
多いので、長く話すことをよしとしていると、感じたという。

嘉田自身も学者出身なので、
話が長くなってしまうと笑う。

どうやら知事という人は、重々しく話さないといけないらしい。

橋本の話が興味深かった。
元大阪府知事の横山ノックがある事案の提出に際し、
府民に受けるかどうかと、側近に聞いたという。

こういう、府民目線を意識することは、大事だと橋本はいう。
それに、対し東国原も同調する。

なんでなんだろう?とか、
検証しようとしない、
そういう体質が県庁にはあるという。

東国原は、知事にたいしてのイメージを雲の上の人と、
思っていたが、実際なってみてただの人なんだと感じるという。
特に知事になって、変わったとは思わっていない。

役所言葉がわかりずらいと、
3人ともに認める。

しかも、わかりやすいと何だか権威にかかわるみたいな、
雰囲気があるという。

東国原は、県の職員のガンバリが伝わらず、
負の材料だけが、クローズアップされるのが、
辛いといつも思っている。

「もったいない」が変える政治について。
嘉田の指摘が鋭い。

HOWよりWHYの意識を高めてほしいという。
官僚出身ではないので、何でと思うことがしばしばあるという。
右から左を、左から右にするのは至難の技であると強調する。

東国原も、官僚出身でなくとよかったと、
そうだったらびびってできないことがあると、
実感しているようだ。

橋本が、この議論に参加し、
従来どおりが一番で、減点主義の世界では、
前例を踏襲することが多いと発言する。

地方自治について、
何かを止めるのにもお金がいる。
何かやるのにもお金がかかる。
行くも地獄、帰るも地獄だと、
3人の人たちは、思いを同じくしていた。

お金の配分は国が6、地方が4、
仕事の量は、国が4で地方が6だと、
嘆いてもいる。

中央行政の縦割りについても、
みなさん苦言を呈していた。

東国原英夫は、分権を強調し、
「道州制」の導入を提唱する。

橋本は、国政をめざすとしており、
東国原、嘉田共に、
橋本にエールを送り、
今後もよろしくという。

3人の人たちの仕事対する真摯な立ち向かい方、
何とかしなければという強い思いが、
伝わってくる内容であった。

何かを変えるというには、
計り知れないエネルギーが必要とする。

あえてしんどい思いはしたくない、
そういう雰囲気が強い。

どこでもそうだと思うが、
私たちの地域にもある。

諦めない事、理解してくれる人もいる、
そういう思いを胸に、
今後も地域の発展に、
地道に努力を重ねていこう。









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「とんど焼き」の始まり、始まり

2008/01/12 15:40
天に届かんばかりの、
竹で組んだ塔に、
火をつけると、
パチ、パチ、と竹が燃え出し、
「とんど焼き」の始まり、始まり。

とんど焼きは、
お正月のフィナーレを飾り、
家に飾っていた、注連縄、お札などを
竹の塔の炎の中に投げ入れ、、
燃やし、その灰を持って帰るというもの。

とんど焼きの炎は、
こどもたちを興奮させ、
勢いよく燃えろと、
歓声が沸きあがる。

時おり、「バーン」という大きな破裂音に、
「おー」と驚きの声。

空気を含んだ竹の音である。

私たちの地域の小学校「北須磨小学校」の、
グラウンドに雨にもかかわらず、
多くの子ども達、父兄、婦人会の人たち、
地域の自治会のかたも、
消防団のひとも、
私たち、商店街の有志も、
学校の先生も、
燃え盛る炎を見守っている。

竹は、昨日の午後、
神戸市立須磨離宮公園の職員の方の協力で、
公園の竹を切りだし、
すぐ近くにある北須磨小学校へと、
関係者で運んできたものです。

時折、降る雨にも負けずに、
無事、竹の塔の燃えるのを見届け、
火が落ち着いたところで、
アルミにくるんだ芋を投げ入れる。

火が落ちたとはいえ、
火のそばに近づくと、
顔がなんとも熱い。

近づいたり、離れたりを繰り替えし、
ころあいの「焼き芋」の、
出来上がりを確かめる。

用意されたのは、800本、
ある施設の寄付によるものです。

整理番号が配られ、
先生のアナウンスで番号を呼ばれると、
出来立てのおいしい焼き芋がもらえる。

焼き芋の出来上がるのを待つ間、
冷えた体を暖めてくれる、
炊き出し、「豚汁」をいただく。

婦人会の方たちが、昨日から準備し、
炊き出してくれたものです。

「フーフー」という声が、
あちらこちらで聞こえ、
「あ、熱い」なんていいながら、
わいわいがやがやといただいた。

体が豚汁で暖まり、
焼き芋の出来具合をみることにした。

アルミホイルの上から軽く指で押さえ、
指の感触で柔らかく感じれば、
おいしい焼き芋の出来上がり。

一本、一本取り出し、
集めらられた焼き芋、
やがて先生の声で番号が呼ばれる。

いよいよみんなの手に、
焼き芋が手渡せる。

ふかふかの焼き芋、
やけどしないようにほおばると、
これが、またおいしい!

いいころあいの焼き芋の出来上がり。

悪天候にも負けず、
焼き芋たちは、
みんなの気持ちにこたえてくれた。

とんど焼きに参加したみなさんは、
口々に無事に終えられたことを喜んだ。

私たちの子供の頃は、
特別なイベントというより、
生活の中に自然とあった、
風習であった、「とんど焼き」。

無病息災を願い、
神に感謝する、
身近な存在であった。

今は、それを子ども達に伝え続けるために、
多くの人たちの、努力の積み重ねで、
かろうじて季節の風習として、
残っていっている。

体験することは、一番の学びに繋がる。

キラキラした子ども達の目に映った、
竹の燃える炎の赤を、
いつしか大きくなった時に、
思い出してくれたら、それでいい。

また、来年「とんど焼き」を無事に迎えらる様、
今年一年の無事を願う。



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宅急便です

2008/01/11 11:43
「宅急便です」との声に、
荷物の差出人を確認すると、
読売ライフと書かれてあった。

いよいよ出来上がったのか、
なんだか嬉しくなってきた。

かねてより、2月号として、
私の地域の「須磨智慧の道」が、
掲載されるとの連絡を受けていたのが、
現実のものとなった。

読売ライフは読売新聞の定期購読者に、
配布されるもので、
結構関心を持ってもらえるようです。

弊店も昨年、2ヶ月連続で掲載されましたが、
お客様から「読売ライフ」見たよと、
声をかけていただいた。

この読売ライフ神戸2月号(阪神版にも掲載)の中で、
地域情報として、
合格祈願にお参りをして、
祈願するのはいかがと、
ご当地の神社を紹介している。

お参りに関しての耳学問。

合格祈願にはしごしても構わないそうだ、
日本は「やおよろずの神さま」だから。
寛大なんだそうです。

お守りの有効期限?
お札の場合で一年間ぐらい、
自分の中でけじめをつけること。

絵馬の書き方は、欲ばらず目的をしぼること。

そして忘れては、ならないのが結果のいかんに関わらず、
御礼参りをして、神様に報告し、御礼をいうこと。

このように、アドバイスがあった。

神社シリーズの番外編として、
「通れば、通る。(合格する)」と、
うわさとして地元でささやかれている、
「須磨智慧の道」を紹介してくださった。

神戸市須磨区にある須磨寺前商店街を挟むように、
南に「須磨の天神さん、綱敷天満宮」、
北に「須磨寺さん、大本山須磨寺」、
この南北の道を「須磨智慧の道」と、
我々は呼んでいます。

弘法大師と、菅原道真公という、
最強の組み合わせがあるのは、
そうそうないと思われる。

まさに鬼に金棒ではありませんか。

受験生のみなさん、
各種の試験を受けようと思っている人も、
まずはしっかりとした準備をし、
体調管理も万全に、
そして、心を穏やかにお参りはいかかでしょうか。

商店街の仲間にも見てもらえるように、
追加の依頼をしたところ、
快く応じてくれました。

読売ライフ2月号を見て、
一人でも多くの方が、
須磨智慧の道を訪れてくれるのを、
心待ちにしております。

読売ライフのYさん、
有難うございます。

これからも、よろしくお願いします。
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スルメを見てイカがわかるか!

2008/01/10 15:16
スルメを見てイカがわかるか!、
これは、養老孟司さんと茂木健一郎さん共著による本であり、
本のタイトルは、ユニークですが、
内容は、あたりまえの常識をマジでお二人が話しています。

まず、タイトルの「スルメを見てイカがわかるか!」について、
養老さんは、このように説明されている。

私が大学に入るまでぐらいは「大学に行くとバカになる」というのは、
世間の常識にあったのです。

イカをスルメにすること、生きて動いているものを止めることはうまくなる。
止まったものを、情報処理することは非常に上手になる。
しかし生きているものをそのものを相手にして扱うことは下手になるような気がします。
・・本文より抜粋

茂木さんの問いかけに、
養老さんが答えるという形で、
話が進行していきます。

養老さんがわかりやすく説明するために、
たとえ話が出てきますが、
実におかしいく、養老さんのユーモアのセンスが光る。

一つ紹介します。
そうとう頭のいいチンパンジーにそうとう頭のいい先生が、
一生懸命言葉を教えて、
覚えられるのは数十語だそうで、
かといって、チンパンジーがバカかというと、
結構立派な知性を持っているという話。

心理学者の先生、
チンパンジーのいる檻の中に、
手の届かないところにバナナをつるした。

そこには、箱を二つ置いた。
先生のもくろみとしては、
箱を重ねて、チンパンジーがバナナを取るのを想像し、
期待したようです。

しかし、チンパンジーは困ったように、
先生に何かを訴えるように見つめた。

何事かと気になった先生が、檻の中に入ると、
いきなりチンパンジーが先生の肩から頭の上に飛び乗って、
バナナを取ったという、
どこが、バカなんでしょうかと養老さんは笑う。

私は思わず、余りにも愉快なので笑ってしまった。
このチンパンジー、先生の上手をいってますね。

笑い終わった後に、考えさせられます。

この本の中で、「手入れの思想」というのが出てきます。
自然というものを取り上げて、
手付かずの自然にも疑問が残ると、
少し手入れもいるよと、
養老さんはいう。

例えとして、子育てを挙げている。

子育ては、そのままでしょう。
子供っていうものは、自然のようなものです。

絶対に、親の思うままにはならない。
仕方ないから、毎日少しずつ手入れする。
教育というのは、つまり子供という自然に、
手入れをするということでしかあり得ないんです。・・本文より抜粋

「手入れ」について、茂木さんも同様の意見を述べている。
友人とのつきあいや、子育て、職場での人間関係、さまざまな場面を通じて、
私たちは、他人というものが自分の思うようにはならないものであると思い知らされている。

様々なつきあいの場面を通して、他人という自分にとっては把握できないものに「手入れ」をして、何らかの変化が生じることを期待することしかできない。・・本文より抜粋

この点について、大いに考えさせられる。
現実に毎日のように、ぶつかる場面である。

茂木さんは、さらに続けます。
自分自身の脳の中に、自分の意識の思い通りにならないものが潜んでいることを認めることから、自分の無意識との対話が始まる。

自分の脳の中で、体験が記憶に収納され、さらには編集されていくプロセスのほとんどは意識が直接コントロールできないことを知るべきである。・・本文より抜粋

最後に茂木さんが養老さんについて語っています。
養老さんは「覚悟の人」であると。

スルメを見てイカを論じることの魅力も危険性も判っている人のことである。
そのようなことが判っている人は、自分の思い通りにいかなかったり、思わぬものにでくわしても動じない。

何事が起こっても、心が動じない覚悟ができている。
そのような覚悟ができているてんにおいて、養老さんは現代では非常に珍しい人であると思う。

このように、書いている。

「覚悟のひと」には、なかなかなれそうにないが、
心構えとして、ある種の覚悟がなければ、
何事もできないことは、理解できる。

データーという、スルメに縛られず、
そこからどう読み解いていくか、
いろんな面から物事を見て、
疑問をもち、見つめ直す事は、
大事な事なんです。

養老さんと、茂木さんのいわゆる師弟関係に見られる、
互いへの尊敬と信頼がよく伝わる一冊となっている。

本書は、
何かにぶつかったり、
停滞した時、
方向性を見失ったりした時、
羅針盤の役目をしてくれそうです。

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修行は一生終わらない 鮨職人・小野二郎

2008/01/09 13:27
食べた鮨(すし)が、口の中で雲のように広がる、
お客さんにそんな表現をされる、
そんな鮨職人に出会えた昨日。

NHKプロフェッショナル仕事の流儀に、
鮨(すし)職人・小野二郎が登場した。

一日500かん握る二郎の手は、
真夏でも手袋をはめ手を保護している。

手と指の感覚を大切にしているから。

数寄屋橋二郎のネタは、最高級の天然もの、
しかし新鮮であればいいのでなく、
より素材の旨みを出すために「手当て」という、
手間隙をかける。

周到に準備された鮨ネタも、
全てが使えるとは限らない。

お客に出す前に二郎の舌で確かめ、
合格したものだけが、お客にだされる。

不合格となったネタは、
まかない食に使われる。

それを、二郎は「無駄が極上を生む」と、表現する。

二郎の店では、コースで鮨が出される。
20かんのドラマは、白身に始まり、自慢のアナゴでしめられる。

二郎のこだわりは、温度差のあるネタを交互に出す事。

そして、鮨を握っている間は、二郎は寡黙になる。
客に出すタイミングを計る、
「目で握る」とは、そういうこと。

そんな二郎、82才、鮨職人になって56年、
いまだ現状に満足せず、
常に高みを目指す。

鮨の生命はネタは勿論だが、
「しゃり」がうまくないと、
鮨とはいえない。

しゃりがおいしければ、
上は普通でもおいしく感じると、
二郎はいう。

二郎のこだわりを、道具立てに見た。

「きれい事」。

道具は贅沢に、綺麗なものを使う。
そして、鮨の旨みを出す工夫もこらしている。

二郎は7歳の時に、奉公に出された。
どんなにつらくても、もう帰る場所がない。

生来不器用な二郎、叱られてばかりの毎日だった。

終戦後、浜松の割烹で修行をし、独立を夢見て、
26歳の時「江戸前にぎりの御三家」の中のひとつで、
修行することになる。

二郎の鮨人生の始まりである。

もともと不器用だった二郎、
それが二郎ならではの「二郎にぎり」を、
生みだすきっかけとなった。

「二郎にぎり」とは、しゃりの外の3列だけを握り、
しゃりがはらはらと口の中で広がるという。

伝統的な「本平返し」が出来ずにいたある日、
偶然にも無意識に手を変えずに鮨を返していた。

左利きの二郎が、偶然身につけた手法である。

40歳で独立をはたした二郎、
毎日、毎日握り続けた。

生来の向上心が、二郎を高みへと導いた。
気が付けば、名人とよばれるようになっていた。

そんな二郎が考える「仕事」とは?

自分を仕事に合わせる、
もともと合う仕事なんてない、
一生懸命やれば、仕事が自分にあってくるという。

82才にして現役の二郎、
引き際は、さりげなく、
気がついたら二郎がいない、
そうありたいという。

去年の11月19日
三ツ星レストランとして、
ミシュランから選ばれた。

その翌日、二郎の20年来の友人であり、
尊敬するフレンチの帝王「ジョエル・ロブション」が、
二郎の店を訪れた。

二郎の真剣勝負、
カウンターを挟んでの「一尺五寸の勝負」。

自分の腕が通じるかどうかを、
みきわめるために。

見事にこの人ほど舌の敏感なひとはいない、
そう二郎にいわしめるロブションをうならせた。

ロブションは二郎の鮨を、
清らかさと、純粋さが伝わると、
評している。

二郎の人間性、そのものであると、
私は感じた。

満足げに笑顔で店を出るロブション。

そのロブションが二郎に声をかけた。
「三ツ星なんて必要ない」。

最高の賛辞を残して、盟友が帰っていった。

その後も、いつもの二郎に戻る。

常に前向きで、鮨と対峙し、
高みを目指す。

二郎は、謙虚であり、
自己反省を怠らない、
そして諦めない、
もっと工夫できるはずと。






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大福茶(おおぶくちゃ)をいただく

2008/01/08 11:57
新年を迎える武者小路千家での、
大晦日から元旦にかけて、
大福茶(おおぶくちゃ)をいただく様子を、
昨日NHK教育TVで見させてもらった。

元旦をむかえる準備の大晦日、
武者小路千家の門に、
一対の松飾りが飾られた。

「根引きの松」といい、正月飾りとして、
私たちもよく目にするもの。

地面に近い場所につけられ、
神が、その松に巻かれた紙を通して宿り、
根を通してその家に根付くといわれる。

そして、主連縄(しめなわ)を飾り、
神をお迎えすると解説された。

「一つ、一つの飾りにも、
意味があり、改めて知る事となった。

400年の伝統を受け継ぐ、
武者小路家の行舟亭にて、
家族、内弟子でその年最後のお茶をいただく、
それが「大福茶」。

一服の茶をとおして、一年の労をねぎらい、
年を越すというものです。

家元・千宗守が「火」を次の年に、
伝えるために炉から炭を取り出し、
「埋め火」とよばれる番茶を使った濡れ灰にいれ、
消さないように、見守り新たな炭に伝える。

「火」を絶やさない事は、
「家」を絶やさないことを意味する。

そして、深夜若宗匠・千宗屋が、
井戸から「若水ぐみ」をし、
大福茶の水として使う。

明けて新年午前6時、
新年初めての茶席、
大福茶をいただく。

家元の手によって練られた「濃茶」を、
家族、内弟子でいただく。
人と人との「輪」「和」をつなぐ。

使うお茶碗は、
6代家元の赤楽茶碗。

最初は、跡継ぎの若宗匠へ、
親から子へ茶の湯の心を伝える。

その席に、昨日は特別に女優山口智子が招かれた。

やがて全員が濃茶を頂き、
新年の朝日を拝む。

突き上げ窓を開け、
降り注ぐ朝日に手を合わせる。

実にシンプルであるが、
こころ引き締まる光景であった。

伝統について、番組の後半でゲストの鷲田清一という方と、
家元・千宗守との語らいがあった。

以前から招かれていた鷲田だが、
なぜか敬遠して、招きに応じていなかった。

茶室はあらゆるものが、
見えるとこで繋がっているので、
覚悟がいる世界だと、鷲田は考えていた。

だからこそ、その席を経験していただき、
喜びを感じて頂きたいと、家元はいう。

宗匠はいいます、
茶の湯は、日常の世界をちょっと工夫することで、
頭の中で別世界を作る、
作法というもので。

「タイトロープ」という表現を、
家元は使っていたが、
ピッタリの表現であると関心した。

茶の湯の世界は、
決して特別なものではなく、
日常の世界と繋がりがある。

一つ、一つの所作に意味をもち、
佇まいも含め、
自分を見つめ直す機会を与えてくれる。

茶室では、武士も刀を預ける、
裸の状態で、無の状態で臨む。

「伝える」「結ぶ」、
茶の湯のキーワード。

武者小路千家「官休庵」HP




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才能の元は「やる気」というお話

2008/01/07 13:45
今年も養老孟司さんは、
愉快で、ユーモアーあふれ、
ちょっぴりスパイスの効いた記事を、
書いています。

今朝の産経新聞朝刊に、
“才能の元は「やる気」”というお話で、
コラムを書かれ、年初から楽しませてもらった。

養老さんは解剖学をずっとやってきていて、
それには、才能というより「やる気」でこなしてきたと、
書かれてあった。

理由は、そうでなければだれも死んだ人なんか、
わざわざいじらないと思う。・・記事より

そういわれれば、そうだと妙に関心してしまった。

養老さんは、「秀吉の草履取り」の話を、
草履を懐で温めた行為を、
一つのやる気の表れだという。

そして、よくやるよと感心することがある、
これが才能の元かもしれないと、
養老さんは、考える。

世の中には、多芸な人がいるが、
何もしなくても、生きていれば何かが降ってくる、
その応対だけで一生が潰れる。

人生ほとんどの時間は、それで潰してきたような気が、
しないでもない、と養老さんはおっしゃる。

あまりいろいろと、
こだわりすぎず、
大きな流れをみると、
それも極一部に過ぎない。

いろいろやってみるべき、
そう養老さんが、
言っているような気が、
私にはします。

養老さんの書かれたものを読むと、
いつも一つの見方に対して、
別な意味を含んでおり、
角度を変えて物事を見ないと、
見誤りをしてしまうよと、
アドバイスをもらう。

養老さんの言葉で印象に残っているのは、
以前読んだ文芸春秋「養老教室へようこそ」に載っていたもの。

「塀の上を歩け」
「塀の外に落ちても困るけど、
内側ばかり見ていてもつまらないから、
塀のぎりぎりを歩く。その芸を身につけろ。」

平成18年11月15日発行と、
書いてあった。

その時に読んだ時より、
今の方がなるほどと思える。

そういえば、その間にいろいろあったなあ。


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ボクらの時代 上田桃子×吉田沙保里×武田美保

2008/01/06 12:30
10代で自分の進むべき道を決め、
20代で花を開かせ結果を出した、
3人の女性アスリートが互いの思いを語った。

フジTV「ボクらの時代」
上田桃子・・・プロゴルファー、2007年史上最年少で賞金女王
吉田沙保里・レスリング選手、2004年アテネ五輪金メダル、118連勝中
武田美保・・・元シンクロ日本代表、2003年世界選手権金メダル、オリンピックでのメダルも合わせ史上最多のメダルを獲得している。

以上、3人のアスリートの元気なトーク。

3人ともに、子供の頃からスポーツに熱中。
上田桃子は、9才からゴルフ、
吉田沙保里は、3才からレスリング、
武田美保も10代からシンクロに挑む。

3人の中で唯一プロなのが、上田桃子。

アマとプロの違いは、賞金がもらえるかどうか、
それが、ゴルフの世界。

その世界を目指すきっかけは、
こどもの頃から、
体の不自由な姉の分まで、
がんばってスポーツ選手に、
なろうと思ったのがきっかけ。

武田は、プロは賞金というはっきりとした、目標があるが、
アマには、そういう設定がないという。
では、何がある?

吉田は、4年に一度のオリンピックを目標として設定し、
日々精進し、国内試合を戦って勝ち、代表選手を目指す。
そこで、勝つことが、今の連勝につなっがているという。

オリンピックのもつものって?
上田の疑問に武田が答える。

シドニー五輪の時の、水に入る前のパフォーマンスで、
観客からの地響きを伴う、反応を得たのが快感であり、
独特のものがあるという。

4年に一度のオリンピックへのモチベーションの維持は、
まずは目の前の試合に集中し、勝つことと、吉田はいう。

上田は日本オープンというメジャーを、
目指すが、その間の試合数が多すぎて、
照準を合わせにくいともらす。

プレッシャーはある、それに打ち勝つために、
日々の練習があると、吉田も武田の口を揃える。

3人のアスリートにとって、
かけがえのない存在は、
やはり家族である。

3人3様に家族の応援なしでは、
今の自分はありえないことだと、
それぞれ精神面でも金銭面でも、
苦労をかけたと話す。

それに対し、
自分たちのプレーを一生懸命やり、
結果をだすことが恩返しと考える。

史上最年少で賞金女王になった、
上田桃子の賞金を親が管理、しかもそれには、
いっさい手をつけないという。
上田もまた、必要な分だけ送金してもらっているという。

そこに、親子ともども甘えの構図は見られない。

メンタルの訓練については、
上田が滝に打たれたときに、
「無」を体験したという。

滝に負けないように、
ひたすら言葉を発し、
何も考えていなかったという。

武田は、厳しいので有名な、
元シンクロ日本代表ヘッド・コーチ井村に、
小さくまとまるな、上を目指せ、
ひとりでは強くなれないんだと、
10代の頃から、叱咤激励されたという。

吉田は、父も全日本代表のレスラーであり、
家に道場があり、こどものころはいやいややっていたが、
自分のために一生懸命な親の姿を見てがんばろうと思った。

上田は、タイガーウッズを目標とし、
見せるゴルファーであろうとする。
かっこよく、きれいを目指す。

吉田の試合の時の目力について、
武田は動物の目に通じる、
力強いものがあり、感動する、
それが、美しさとも表現する。

それぞれ、オフになるとプライベートを楽しむ。

上田はひたすら、ひきこもりTVを見る。
吉田と武田はカラオケがストレス発散だという。

上田の希望で実現した3人の出会いは、
いつかカラオケにいこうと、
再会を約束した。

輝ける3人のアスリートの元気のでる、
楽しい番組であった。





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ちょっとコーヒーブレイク

2008/01/05 10:59
弊店は、本日より平常通り営業、
しかし、体は勿論のこと、
気持ちがまだ切り替わっていない。

周りのお店も休みだったり、
関西では、1月9,10,11の「えべっさん」が済むまでは、
エンジンがなかなかかかりません。

年初の東証は、記録的な下げでスタート。

厳しいですよと、気を引き締めましょう、
そう捉えてがんばろう。

昨日は、明石海峡大橋を目の前に、
海沿いにあるアウトレット「神戸ポルトバザール」へ、
ランチを食べに、そしてサムシングを求めて、
家内といってまいりました。

圧倒する他府県ナンバーの車、人、人、人。
親子ずれ、カップル、友達どおし、一人のひとも。

着いたのが昼ごろだったので、
まずは腹ごしらえ、
予定していたパスタランチを、
食べるために行ったところ、
予想はしていたが、行列が出来ていた。

どこえ行っても同じなので、
並ぶ事にした。

30分位で済んだので、
まだましであった。

ランチコースを注文し、
ようやく食にありつけた。

パンが食べ放題、
勝手に好きなだけお皿に、
取って自分のテーブルに運ぶシステム。

私が、ウエイター役をかってでて、
何種類かのパンを、
何度か運んだ。

お腹も一杯になり、
レジを済ませ店をでると、
そこには新たな長い列が、
ご苦労様。

そして、腹ごなしに散歩がてらに、
館内に足を運ぶ。

活気というか、熱気で思わず、
ダウンジャケットを脱いだ。

旺盛な購買欲は衰えを見せず、
待ちくたびれたおじさん、
相手にしてもらえない子供、
相手をさせられているご主人、
上機嫌で店からでてくるご婦人方と、
いろんな表情をみることに。

我々はこれといった目的もなく、
ぶらりと入ったある有名ブランド、
そこで家内は、サムシングをゲット。

初買い、お買い上げ、
納得の表情でした。

外に出て外気を吸い、
帰ることにした。

ポルトバザールの敷地内では、
献血車が止まっており、
献血者の出足がいいと、
アナウンスがあった。

いい事ですね。

帰りにちょっとコーヒーブレクに、
「ドトール」に入る。

ここも満員、ほんの少し待つことに、
席につき周りを見渡してみた。

雑談で盛り上がるひとたち、
真剣な話が隣から聞こえ、
ある人は、周りの雑音をもろともせず、
ひたすら本を読み、ラインをいれ勉強中のよう。

隣で何をしようが、
我関せずで、外を眺め、
ドリンクを飲むおじさん、
隣には、黙々と読書するおばさん。

私たちもどう写っているのか?

いろんな人生がきっとあるんだろうと。

家に着いたら、
歩き疲れというお土産をもらった。

晩ごはんは、正月の残りものを、
やっぱり家で食べるのが一番いい。

今日は、何だか静かな一日になりそう。
まあ、いいか。

これからじゃないか!

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子ども達のはしゃぎ声がこだまする

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ここで、ランチを食べました


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大道無門 

2008/01/04 11:16
弊店は昨日、今日とお正月休み、
何ヶ月ぶりかの休みで店の電気は消えている。
いつもとは違うシチュエーションで、
ブログを書くことになる。

昨日は、家内の実家で義姉夫婦と甥と5人での、
遅めの昼食というか結果的には晩ご飯となった。

今日の茂木さんのクオリア日記の表現を借りると、
昨日はまさに、昼間から酒を飲んで、
「ラテンな生活」を堪能、
甥の自慢の地酒を飲み干してしまった。

ほろ酔い気分で、久しぶりに語り合った。

甥は田舎生活が好きで、
ゆくゆくは、親戚のある石巻にでも行って、
土地を借り、生活をしようかと冗談まじりに話した。

そんな楽しい時間を過ごした幸せな一日、
ご馳走さまでした。

今朝、何気なくTVを見てると、
パティシエ・辻口博啓さんが、
「涙の晩餐」という番組に出ていた。

辻口さんが、日本一のパティシエになった時と、
同じタイトル「セラ・ヴィ」・・わが人生というケーキを、
恩師に食べてもらうというもの。

画面に現れた、辻口さんのスウィーツは、
まさにアートと呼ぶにふさわしい作品であった。

恩師が、そのケーキにナイフをいれ、
切り口を見て、「門」しかも、
大きな門が開けていると表現した。

恩師が辻口さんに、御礼にと一枚の色紙を渡した。

そこには、「大道無門」、
大きな道に門は無し、
と、書かれていた。

日々精進を励むことを忘れなければ、
悟りの道に決まった道を歩く必要はない。

自分の目標が、しっかりしていれば、
そこに至る道は、いろいろある。

大変深い言葉である。

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イチロースペッシャル

2008/01/03 10:33
そこに見たのは、あのサムライ魂の塊の男が、
普段見せることのない、
素の一人の人間として、
34歳の青年、鈴木一朗の部分もさらけだしていた。


NHKプロフェッショナル仕事の流儀、
「イチロースペッシャル」。

113分間、画面から目が離せなかった。

何か、溜まりに溜まったものを、
吐き出すかのように、
イチローは語った。

200安打を打つのは、既定の事実のように、
期待され、こともなげにやっているように、
ファンには映っている。

それをイチロー自身もわかりながら、
プロとして、ファンあっての自分という意識が、
強いために必死な姿をあえて見せない。

しかし、最近はあえて普段着のイチローを見せるようになった。
新たな、自信を掴んだのかもしれない。

子供のころから野球に夢中、
父親にあこがれ始めた野球。

ドラフト4位で入団、3年目仰木監督に才能を見出され、
イチローという名前でレギュラーを獲得し、
いきなり200安打を打ってしまった。

それまでの平穏な時間の経過が、
四六時中、世間の注目を集めるようになり、
精神的に疲弊していた。

そんな時間の流れを、変えるべくイチローは、
メジャー行きを選択した。

雑音をさけ、野球に集中し、
結果だけを追い求めて。

メジャー最初のシーズンに200安打、
首位打者、MVPと輝かしい成績をおさめた。

イチローレジェンドは続いたのである。

イチローはアメリカでも、
毎日同じである事に徹底的に、
こだわりたいという。

なんと、イチローは、
シアトルにいる時には、
妻弓子さんの手作りのカレーを、
毎日食べる、それが7年間も同じである。

毎日が重圧、
逃げられない、
じゃどうする、
2007年、イチローは重圧に立ち向かう、
そう決心をした。

過去のイチローを捨てる。
言葉にしてみれば短くすむものも、
我々には、計り知れないほどの葛藤の末であろう。

イチローは「何かが違う」、
それを感じ、
挑戦しようとしている。

ヒットを打つ技術に関しては、
ゆるぎない自信をもっており、
成績がそれをしめしている。

例え悪球でも、
ヒットに出来る技術はある。

2007年ベースを通過する「ストライク」だけに、
集中しようと試みていた。

プレッシャーに対峙するとき、
イチローは、自分のレベルを精神がこえているようにみえるが、
実はこえていない、
だから逃げない、
自分にプレッシャーをあえてかけるという。

イチローは、バッターボックスに立つと、
異空間にいるようだという、
そこをはなれたら、
ヒットなんて簡単に打てると思うから。

イチローのイチローへの入り方は、
普段どおり、時間をこなし、
同じ所作をくりかえすことで、
イチローになっているという。

イチローの背面キャッチは有名、
あれは、普段なんでもないフライを落とさないために、
あえてこんな難しい姿勢でもとれるから、
簡単なものは、より確実にという精神の表れである。

イチローは何故先を見据えるのか?

達成感の問題だという。
先が見えないから出来る、
光る星をイメージするが真っ暗、
だけど、もがいていると見えると信じている。

そう、イチローはいう。

2007年首位打者争いをしていたイチロー。

最後のチャンス、
ライバルはイチローの心を見透かしたかのように、
差を広げていく。

そんな重圧のなか、
バッターボックスで闘った。

が、結果はとどかなかった。
イチローのシーズンは終わった。

最後の守備での、
イチローの目に光る涙は、
何を意味しているのか?

簡単に人が、コメントすべきではないでしょう。

イチローはしかし諦めない。
覚悟がある。

それは、ファンは自分の生活の一部をささげて、
試合を見に来てくれる、
だから自分も自分の何かを犠牲にするという。

プロフェッショナルである、イチローは。

茂木さん、住吉アナからの問いに答えるときの、
イチローの表情は、時として答えの困難なとき、
一瞬厳しい目になる。

常に真剣勝負のイチロー、
それだけにプライベートで見せる笑顔には、
ただ野球が大好きだった少年のような目を、
時として垣間見せる。

続き、1月22日のイチローの放送も楽しみです。





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雪の中の少年に

2008/01/02 11:20
生の体験が子供はぐくむ
脳科学者 茂木健一郎さん、
聞き手 橋本五郎特別編集委員の、
対談の一部をYOMIURI ONLINEで読んだ。

対談の全編はBS日テレで、
昨日、今日見れるそうですが、
残念ながら、我が家では受信できません。

ダイジェスト版と、読売新聞の記事を、
ウエブで読むことにしました。

茂木さんは、人は初めてのことに出会うと、
パニックに陥りやすいから、
そんな時は、プリンシプル(原理・原則)を、
大事に、複雑に考えないようにしようと、
話されていた。

そして、記事の内容で注目したのは、
例えば人を判断するのに、
ある一面だけからではなく、
一呼吸おいて別な面からも見ないと、
判断を誤りますよと、
茂木さんも、橋本さんもいっている。

茂木さんの「お師匠さん」ともいえる、
養老孟司さんの言葉が紹介され、
大変印象的だった。

「教養とは他人の心が分かることだ」と、
非常に意味深い表現である。

橋本さんは、こういっている。
アリストテレスは「人間は社会的な動物だ」と言いましたが、
茂木さんが考えるのは、
頭の良さというのは他人とうまくやるということですね。
非常に単純だが、それが基本という感じがしますね・・記事本文より

そして、お二人は教育について、
こどもの生の体験の大切さを説いていた。

例えば、養老さんは虫、茂木さん蝶々が大好きで、
いろんなドラマと出会い、成長してきた、
そんな体験が、今の子供に不足していると、
ふれられていた。

茂木さんは、こうも指摘している。
生の経験は自分で意味をつかまなくちゃいけない。
生の経験にはノイズだとか余計な物も入っているが、
余計なことが意外と大事なんです。

人間同士でも、雑談が大事だったりしますよね。
お酒を飲んでいろいろ雑談すると、面白い。・・記事本文より

そんな記事を読んで、
改めて与えられたものだけでなく、
自ら得ようとする努力が必要だと、
考える次第です。

今日、私は一通のメールを受け取った。
しかも写真添付で。

今年、5歳になる私の親友S君のお母さんから。

今、S君は昨年末からお父さん、お母さんの里に、
帰っています。

そこは雪国だったの世界です、
年末から寒波襲来で一面の銀世界。

S君、すっかり自分はヒーロー気分のようです。

お母さんからのメールによるS君の感想を紹介します。
『水晶の世界だ』とアーティストな発言を新年からしています。
・・メールより

この後、S君は雪のなかおばあちゃまと、
スーパーへお買い物に行ったそうです、
多分何かいいものををゲットしたと、
これは、私の推測です。

笑ってしまった、
新年そうそういいお年玉をS君からもらった。

『水晶の世界だ」か、
その感性を大切にしてやろう。

なぜか、少年のころの感性が、
大人になると失せてしまう。

雪の中の少年に、
新年から元気をもらった。





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カウントダウンやってください

2008/01/01 13:41
寒空の中、元気にお寺へと向う人たちの群れ、
それぞれの一年を振り返り、
来る新年に思いを馳せて、
足早に、白い息を残していく。

須磨寺では、恒例の除夜の鐘がつかれます。

108の煩悩に合わせて、
先着108人のひとに鐘つきに並ぶと、
絵馬がもらえる。

2007年紅白歌合戦が終わる頃から、
須磨寺へ初詣に行かれる人が、
それぞれの思いを胸に、
お寺へと足を運ぶ。

2007年12月31日、
午後9時過ぎより、
須磨智慧の道を光の回廊でお迎えし、
日付が変わる頃、
「カウントダウンやってください」と、
お参りの方からの声かけで、
「3,2,1、新年おめでとうございます」と、新年を迎えた。

見ず知らずの人たちとの、
「おめでとうございます」、
そこには、永年受け継がれた伝統があり、
人と人を楽しく結びつける。

芯から冷える、大晦日から元旦に、
暖かいほうじ茶のお接待に、
多くのお参りの方が、足を止めて一息をつかれた。

「ああ、おいしい」「あったかい」と、口々に、
話の花が咲き、「ありがとう」の声を残して、
家路へと。

見知らぬ人とのひと時の会話を楽しんだ。

段取りに時間をかけ、
多くの人の協力で、
今回も多くのかたに喜んでいただけた。

楽しくないと、元気になれない。

そのことのために労苦はつきもの、
多ければ多いほど、
終わったあとの開放感とか達成感は、
何ともいえない
格別なものがある。

私の脳の中に、
ドーパミンが広がるのを体感した。

去年も紅白は見れなかったが、
茂木さんは、結構ノリノリだったと家内に聞いた。
音楽大好き人間の、茂木さんらしい。

楽しみましょう、人生を、
そのための努力はおしみなく、
皆さんの笑顔がご褒美。

明けて2008年、
朝から、須磨寺前商店街の婦人部「須磨さくら会」の、
メンバーによる「琴の演奏」と、桜茶のお接待に、
初春を感じながら、琴の音に魅せられていた。

須磨智慧の道を通れば通る(合格する)、
そういわれております。
受験生のみなさん、お待ちしております。

手作りでお迎えした2007大晦日〜2008年元旦。

今年も須磨智慧の道、
須磨寺前商店街をどうぞよろしくお願いします。

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2007年大晦日 須磨智慧の道「光の回廊」

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2007年大晦日 須磨寺お大師広場」にて、手を震わせながら暖かいお茶でお出迎え

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2008年桜茶で皆さんと新年を祝う

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六段から始まった、琴の音にしばし寒さも忘れる



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