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「蒼天のクオリア」との出合いは、茂木健一郎さんの「クオリア日記」に序文を書かれたときが最初であり、そのことを拙ブログ「須磨寺ものがたり」に書いたところ、著者の河村さんのブログからTBがつき、その「御林守河村家を守る会」の存在を知った。 河村さんのブログに初めてお邪魔した時、「御林守河村家を守る会」とはなんぞやと、よく理解できないまま流していた。今となっては大変失礼なことだと、本を読ませていただき感じいりました。 「蒼天のクオリア」は、河村さんご自身の自伝をかかれたものであった。本を手にして一気に読んでしまった。途中でやめるわけいわいかない、そんなことを思わせる内容の本であった。 人の生き方、その人にとっての幸不幸、人生の紆余曲折が凝縮された一冊であり、読むひとに河村さんのこれまでの生き様にふれることで、現在直面するいろいろなことも、単なる通過点に過ぎず、今をしっかり生きることの大切さを、問いかけておられる。 河村さんが、自分が目指していた方向と違う人生を選択しなければならなくなった、河村家の事情に触れ、河村さんの人生も決して平坦ではなかったことも、実家に帰らざるを得なかった背景もよく理解できた。 河村さんが28歳の時夢半ばにして、故郷に帰りお父上の後を継ぎ、家を守ることを決意して帰ったとき、家の前でご両親が頭を深々と下げて出迎えられたと書かれてあった。やっと上げたお母様の顔には、涙が。ご両親は、なにも言われなかったそうだ。いや、言えなかったんだろうと、読んでいて胸があつくなった。 河村さんは、ご自身が目指していた方向と、めぐり合った運命とのギャップに大変なやまれ、河村家を守るために、必死に働きそのことに矛盾を感じ、それを奥様に当たったりした。その後、仕事も少し余裕が生まれ、2週間の旅をヨーロッパへ。 そこで出会った光景が、自身幼いころに経験した幸せな光景とだぶり、今河村さん自身幸せなんだと、感じることができるようになったこと、その時気づかないことも、ちょっとしたことがきっかけで、気づくことを教えられた。 河村さんが、旅から帰って人が変わったようだと、妻に言われた。そう書かれてあり、その後に大変重い内容が書き続けられていた。 生きる場所はどこでも良いのだ。そこに徹して生きれば、必ず救いの手は差し伸べなれる。いや、徹して生きることが即ち救いなのだ。随所に徹すれば立所は皆真であると、学生時代の知識がようやく命をふきこまれて、塾で働き、家を守る、それが自分の人生であると、明るく人生を受け入れることができるようになった。・・・「随所徹立所皆真」ずいしょてっすればりつみなしん・・ その後、冑仏に出会う。そのことで、河村さんの人生が新たな展開を生み、生涯かけて兜仏の研究をしようと決意する。兜仏については、兜佛伝説に書かれているようなので、同時に購入した「冑佛伝説」を、次に読もうと思います。 蒼天のクオリアという本にも、随所に河村さんにとっての「セレンディビティ」が語られている。 決して多くの分量の本ではないが、実に中味の濃い内容と、河村さんを通じて元気をいただき、心を新たにできたこと、新年そうそういい本に出合えてよかったと、思いました。 そして、この本に序文をよせられた茂木健一郎さんの言葉より、少し引用させていただきます。 戦場で生死の分かれ目と向き合っていた戦国時代の武将にとっては、そんなことは先刻承知の上のことだったろう。生きるも死ぬも、どこか遠くの他人に起こる事でもない。まさにこの自分に降りかかることである。 森羅万象を志向し、下天に無辺を夢にても、死んでしまえばそれまでのことである。どうあがいても自らの身体からは逃れられない。自らの身体に降りかかる運命を引き受けることでしか、人間はいきられない。そのようなことを判った上で日々をいきることを、昔の人は「覚悟」と言った。 河村さんの文章を読むと、覚悟というものがどういうものだったかということを思い出す。 |
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静岡の河村と申します。 |
かぶとぼとけ 2007/01/20 09:19 |
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